Homeward Bound

今日は帰る日である。
短かったブルガリアでの一週間の最後の日だ。麦茶や山の手線や500円玉やコンビニやクーラーや、その他諸々が待っている日本に向かう日なのである。

ブルガリア国内、とりわけソフィアでは、俺の愛車「オペル・ヴィータ」を何台か見かけたことがあったのだが、最終日の今日になって何とホテルの駐車場で発見することが出来た。

ここで同行してくれた友人に別れを告げる。ブルガリア語でタクシーの運転手に何か話してくれており、「空港まで向かうように言って置いたから」と言われたので素直に乗り込む。
窓から眺める建物は、建設中というか崩壊中に近いものが多い。建物もそうだが車もなんとなく汚れているものが多く感じる。人口はブルガリア全体で東京23区程度、国民平均所得は日本円に直すと年間15万円前後、国力としてはまだまだ心許ない。ブルガリア国内で完結している分にはなんとかなっているのだろうが、外国の製品や労働力を輸入するのは難しいだろう。そういうひずみがどこに現れるかはこうしてこの目で見ればはっきりと判る。キレイにする余裕がなくなるのだ。例えばブルガリアのトイレの汚さはこれまた半端じゃない。公衆トイレの話ではなく、レストランのトイレの話である。だいたい公衆トイレなんて見たことないし。
そうして、彼らは外国製のものを買わない訳にはいかない。車や電気製品などがそうだ。クーラーは未だに高級品だし、パソコンを持っている家庭はごくごく希で、MDなんてものは存在すら知られていない。
日本では不況だ不況だとわめいてみても、どこの店に入ったって水はタダだし、暑い日にクーラーが故障していれば客は帰ってしまうし、トイレはキレイである。円が強いというのはありがたいことだ。
窓外を眺めながら柄にもないことを考えているうちに、タクシーはキチンと空港に到着した。ブルガリア語でウダウダ言われたが、当然何を言われているのか判らないので英語でウダウダ言い返す。暫く言い合ったのち、どうやら金を払えと言っているらしいことに気づき(もっと早く気づくだろ普通)、メーターに出ている数字の分だけ支払う。ドアが勝手に開く日本式のタクシーとは違って、到着しても車を停めるだけだから、「ここで停めていいのか?」とか「出発か到着かどっちだ?」とか訊かれているのかと思ったんだよ。
ソフィア国際空港は、一週間前に到着した時は「汚い建物だなー」と思ったものだが、今見てみるととても奇麗である。一週間で急に奇麗になる訳はないから、俺がブルガリアの建物の汚さに慣らされたに違いない。

俺が乗る予定の飛行機は、LZ437便フランクフルト行きである。出発は15時25分、たっぷり3時間はある。話し相手もなく、退屈なので大荷物を抱えながら空港内を徘徊すると、正座の姿勢のまま地面にうつ伏せになっている人を見掛ける。何か落としたのかな、と思ってよく見ると、祈りをしているのだ。イスラム教徒なのであろう。
暫くうろうろした後、フランクフルト行きのゲートが開く。いの一番に入り込んで、待合室に向かうと、これまたイスラム系らしき人々が待合室で寝っ転がっているのには仰天した。飛行機の乗り換えなのであろうが、彼らにはなんか特有の迫力があって、ニューヨークのハーレムに紛れ込んだような気分になる。目的の飛行機まで何時間あるのか知らないけど、あそこで寝られてる横に座るのはちょっと怖いので、カフェで時間を潰す。
そのうち搭乗時刻が近づいてくる。案内放送はブルガリア語のみなので最初から聞く気はなく、自分の時計を頼りにカフェを出る。来たときと同じくらい小さい飛行機である。

フランクフルト行きの飛行機はほぼ満席のようであったが、前の方の3列程は空席であった。カーテンで後ろの席と仕切られている。ファーストクラスの様だが、ファーストクラスって言ったって座席の大きさも、間隔も同じである。これで料金だけは2倍だったりするのかな。

僅か2時間程のフライトであるから、飛び立つと同時に機内食が出る。機内食って奴はいつ食べてもマズイものだと思っていたが、これはなかなかうまい。農業国ブルガリアだから食べ物はおいしいんだろう、なんて勝手に理由づけをしてみる。もちろんソフィア発の飛行機だからブルガリア製の機内食が出るなんて保証はないのだが。
飛行機がフランクフルト空港に無事到着すると、機内から拍手がわき起こった。???。怖かったのかな。ドイツ人の考えることはよく判らん。ドイツ人かどうかも判らないが。
成田からウィーンに向かう飛行機は日本人とそれ以外が半分づつくらいであった。ウィーンから先はずっと日本人を見ていない。何となくそういう状態に慣れっこになっていたのだが、なんと成田行きの搭乗待合室は日本人だらけであった。しかも年配のツアー客ばかりで、地球の裏側に来てまで日本語でペチャクチャ話をしている。旅は小人数でするもの、異国で外国語と格闘しながら孤独を味わうものと思っている俺はたちまち不愉快になってしまった。しかしチケット発券場には彼らの後ろに並ばねばならぬ。係官は英語とドイツ語しか話さないから、列の進行は極めて遅い。しかもこの期に及んで喫煙席に換えられませんかなどと質問していたりする。喫煙・禁煙の区別はリカンファーム時に決まる。きっと添乗員か誰かにリカンファームを任せていたに違いない。ソフィアからロンドンに国際電話をかけ、苦労して英語でリカンファームをした俺にはこんな理由で列の後ろで待たされるのもこれまた癪だ。
チケットを手にして、搭乗待合室でツアーおばさん達と出発時刻を待っていると、日本語でアナウンスがかかったのには驚いた。海外には何度か行っているが、こんな経験をしたことは一度もない。これもパックツアーのサーヴィスの一環なのだろう。
やがて機内に乗り込む。12時間あまりのフライトののち、成田に帰って来ることになる。今回は飛行機も混じりっ気なしの全日空、スッチーもオール日本人である。うむうむ。
俺の席は末尾から2番目なのだが、俺の後ろの席が空いている。ラッキー、後ろに移動して二人分の席で休んじゃおうと思っていたらスッチーが「この席は使用できません」とか書いた紙を空いている席に貼り付ける。あれれ?空いているのに使用できませんってどういうこと?と思っていたら、「お客様・・・」と声を掛けられる。
「喫煙席をご希望になったにもかかわらず、禁煙席にお座りになっているお客様が何人かいらっしゃいますので、この席を喫煙座席として開放したいのですが宜しいでしょうか?もしお休みの妨げになるようでしたら、仰っしゃって頂ければ直ぐに使用を禁止いたしますので」などと言う。てめーらリカンファームくらい自分でやりやがれ!とは思ったもののここまで丁寧に言われては断りにくい。ましてや断ったあげく、その席に座って2人分のスペースを確保するなんてことは不可能だろう。不愉快ではあったが承諾した。ほんとうにうるさかったら禁止してもらえばいいし。
機内の放送は出発時とは逆に日本語・英語・ドイツ語の順であった。周りを見回しても、客もスッチーも日本人ばかり、これではまるで長崎から東京に向かう国内便のようである。楽ではあるが旅情を損なう。しかも機内で添乗員が点呼を取っていたりする。こうして、日本からオール日本人の団体で出発し、添乗員が日本語で説明し、オール日本語で食事や買い物を済ませて、「ドイツに行ってきました」なんて人に話すのだろうか。ブルガリアの、汚い建物と汚い車とを思い出すにつれ、ついさっき発ったばかりのかの地が懐かしく感じるようになって来る。東欧ばかりを旅行している人の気分が少し、理解できるようになってしまったようだ。
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