僕と遺跡とプロブディフ

プロブディフはブルガリア第2の都市である。人口は35万とガイドブックに書いてある。
歴史的にはイスタンブールとヨーロッパ各都市を結ぶ重要な拠点だったそうで、古代ローマ帝国時代の遺跡がゴロゴロしている。うーむローマ帝国恐るべし。ブルガリアの地に立って、「ここはかつてローマ帝国の領土だった」と言われると、その広大さをあらためて感じる。EUなんか目じゃないって。

これは中央広場の真ん中にある郵便局&電話局である。なかなかでかい建物である。広場もでかくて羨ましい。ここまででかい建物なら、中も凄いだろうと思って入って見ると、

こんなんである。壁に貼り付いているのは電話である。何とまあ超贅沢な空間ではないか。
プロブディフにはマクドナルドもあり、ハンバーガーとコーラのSを頼んでみた。1、740Levは140円か。味は日本とまったく同じであったのが残念である。アメリカのマックはうまかったんだけどな。
中央広場付近の公園で、老人に「ヤポン?」と声をかけられる。「日本人か?」という意味だ。東洋人は珍しいのだろう、あちこちで視線を感じたりしたが、声をかけられるのは初めてである。「Sure!」と答えるとニッコリ笑っていた。

メインストリートを歩いていると突如として足元にこのようなものが出現して驚く。ローマ帝国時代の円形劇場跡である。今では座席の半分程しか残っていない。
メインストリートから離れ、6つある丘の一つを登って行くと、もう一つの劇場跡がある。

見てお判りのように、こちらの方は、何といまだに使われているのである!今回は映画を上映するらしく、人々がその準備をしていた。客席の傾斜はかなりきつく、うっかり歩くと転びそうだ。劇場は高台にあるため、客席から舞台方向を望むと、遠くに先ほどの中央広場が見え、さらに遠くには山脈も見える素晴らしい展望である。
ローマ時代人もここから山脈を見ていたんだろうと思い、ちょっと感動。

素晴らしいことである。こうなるとステージ後方の柱が崩れているのが残念に思えてくる。本当はここまで残っていることに感謝しなければならないのだろうけれど。
ここでライヴとかやったら、楽しいだろうな。
円形劇場を後にして、パルディンという名前のレストランにたどり着く。ガイドブックには「旧市街でいちばん立派なレストランと評判。内装がみごと」とだけ書いてあるが、はたして内装はビクトリア風の

こんなんである。しかし、この程度なら何か豪華なレストランだな、位で終わりなのであるが、このガイドブックの記者も中までは入らなかったのだろう。このレストランは、実は奥深くにローマ遺跡を展示しているのである!

手前はローマ時代の遺跡、奥はレストランの座席である。こんなことがあっていいのだろうか?
遺跡を高々一レストランが管理しているなんて。しかも不思議なことに、入り口にはそれらしい記述がまったくないのである。ガイドブックに載っている位であるから、プロブディフでは有名なレストランなのであろうが、遺跡があるなんてことは地元の人しか知らないようだ。恐るべしプロブディフ。この分ではあちこちに遺跡カフェとか遺跡ホテルとか遺跡パソコンショップとかがあるのかも知れない。

要塞門、と呼ばれる門。紀元前4世紀に建てられたもの。ううむ古すぎ。ブルガリアは、古代はローマに支配され、中世はトルコに支配され、近世はソ連に支配され・・・・・いや、友好国になり、と支配されまくりの歴史を歩んできているが、この要塞門もその度に破壊と修復が繰り返されたとガイドブックにある。壊すことないと思うけどそうもいかないのか。

この門を抜けるとネベテペの遺跡がある。ここは要塞だったそうで、先ほどの要塞門はこのネベテペを守るための門だったとか。建立は同じく紀元前4世紀だが、こちらは荒れ放題で、せっかく来ても何がなんだか今ではよく判らない。

ネベテペ遺跡のすぐ近くに、このような密接した家がある。ブルガリア人の友人が面白いから撮ったらどうだと言うので撮ってみたが、こればかりは日本人には珍しくない。メインストリートで、絵を売っている人がいたが、その中にたしかこの風景もあったから、きっと有名な場所なのだろう。このくらい密接している家ってブルガリアじゃあ珍しいんだろうな。羨ましいことである。

道を歩いていると空き地に上のような遺跡のようなものがある。あれは何だと友人に聞いても、よく判らない、プロブディフではどこを掘っても遺跡が出るから、などと平然と言う。ううむ。先ほどのレストラン・パルディンがあまり宣伝されないのはこういう理由なのか?もしかしたらプロブディフ住民にとっては遺跡なんて電柱みたいなものなのだろうか。

今夜の食事はポークステーキ、、、、、ってデケエよオイ!
上にかかっているのはチーズである。半分たいらげた所でギブアップ。皆これ食ってるのかなあ?
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