高原の首都ソフィア

ブルガリアの人口は1998年版のガイドブックによれば844万人、そのうち125万人が首都ソフィアに住んでいる。日本と比較すると、福岡市と同じくらいだそうだ。標高550mと、割と高い所に位置するせいか、それほど暑くないのは助かる。

かつてロシアがソ連だった頃、ブルガリアは最も親ソ的な国家で「ソビエト第16番目の自治国家」などと言われたらしい。日本がアメリカの第51番目の州だとか言われるようなものかもしれないが、それを言うならハワイは日本の48番目の県と言い返せばいいし、まあそれはともかく、ブルガリアが親ソ的だったのには理由がある。1877年、それまで500年の長きに渡って、ブルガリアはトルコに支配されていたのを、ロシアがトルコに戦争を仕掛けることで解放したのである。これにより、ブルガリアはロシア=ソ連に恩義を感じ、こうしてロシア正教の教会を建ててやったりする。丸い屋根の協会は函館にあるハリストス正教会=ロシア教会にそっくりだ。函館の方は写真でしか見たことないんだけどね。

そして、当時のロシア皇帝アレクサンドル2世の像もある。「我が兄弟、解放者のために」と彫ってあるらしい。読めないけど教えてもらった。

更に、戦死したロシア兵士を慰霊するために建てられた、アレクサンドル・ネフスキー寺院がそびえ立つ。でかい。なんでもバルカン半島最大の寺院らしいが、ちょっと範囲指定がマイナーすぎてピンとこない。「世界最大」とか「ヨーロッパ最大」なら判りやすいんだけどね。
真ん中で手を振っているのが俺である。

しかし当然ながら、ロシアが、いや、どの国だって、戦争までしてタダで解放する訳はなく、結局ブルガリアはロシア=ソ連に忠誠を尽くすことになる。

上の写真はネフスキー寺院を横から見たところ。それはいいのだが、道路がなんかレンガに線が引いてあるだけってのが違和感があるなあ。見ているとこんなとこクルマ通っていいのかな、なんて思って渡りそうになってしまう。しかし法規上は一般道路らしく、クルマは余裕で突っ走って来るから気をつけないとあぶない

道路の向こうに見えるのは国会議事堂で、二人並んでいる像はキリル兄弟のものである。あのЖとかИとかЯとか変な文字を作った張本人だ。貴様らか犯人はー!!と怒鳴ってみたくもなりはしまいか。

これはソフィア大学であるから、きっと東京大学みたいなもんだろう。しかし敷地はあまり広くなく、建物の分しかない。この狭い敷地では、間に理科の字が入るんじゃねえか?などとツッコミたくなるが、内輪受けですいません
ソフィア大を後にして、建物に囲まれた小さいエリアに連れてゆかれる。またもやローマ時代の遺跡だそうだが、面白いことに地面が1メートル程低いのだ。下の写真は、ローマ時代の地面に降りて撮ったもの。草が生えているところが現在の地面である。

残っているものが少ないのでよく判らないが、二つ並んでいるのはかまどだろうか?たくさん並んでいる正方形の石は椅子なのか?疑問符ばかり出てしまうが、とにかく遠い昔に使われていたものを目の当たりにするのはエキサイティングだ。地面が低いというのもリアリティがあって楽しい。

奥の方には未だに教会が残っている。まだ使っているらしい。

更に少し行くと、半地下の中に突如としてこれまた古い教会が現れる。聖ペトカ地下教会。14世紀、イスラム教徒のトルコ支配下で、細々と続けられたキリスト教徒のための教会だそうだ。半地下の道路も、上を走る自動車道路も、この教会を迂回するように建設されている。そうして、これほど古い建物のすぐ後ろには、新しい店が続々と並んでいるのも面白い。


さて、教会が出てきたりして油断のならない地下街であるが、基本的には出店の天下である。
ソフィアだけでなく、ブルガリア全体に言えることだが、出店でものを売っている人がとても多い。日本で言えばアメ横の様なもので、なにしろ服やら下着やら装飾品やら、日本人の感覚だとこんなん出店で売るか?と思うようなものが余裕で売られている。

上はソフィアで見た本の出店なのだが、雑誌だけでなく、オフィス97の解説書とかインターネットの何とかとかWindows95の何とかとかVisualC++の何とかとかも売っているのだ。そうかと思うと小説とか童話などもある。そう言えばブルガリアで本屋って見たことないなあ。実は案内してくれた友人も、ここでいい本があったなどと言ってVisualC++の本を買ってたから、これが本屋の役割を果たしているのかも知れない。
街中を歩いているとクマを連れている人を見かけた。カメラを向けるとクマを立たせてくれた。

ぬいぐるみではない、生きているクマである。やっぱすげえやブルガリアって。
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