RAINY DAY 台北演唱会 2005.12.29-30

2006年5月1日

気がつけば、あっという間にもう5月だ。
ブログを始めてから、早2ヶ月半が過ぎてしまった。
昨年12月の台北コンサートでの感動があまりに大きく、コンサートレポートというものを初めて書く気になった。
その後、幸運なことに、NY、バンコクのコンサートにも参加することができた私。
その感動を記録し、そしてジフニを愛するたくさんの方に読んでいただくことができ、とても嬉しく思っている。

実は、この「幸せな転落人生」の発端は、もう少し前にさかのぼることができる。
台北以前のコンサートについてのレポートをHPにUPしたいと前々から思っていたが、なかなか重たい腰が上がらないでいた。
まずは毎日のブログで記憶をさかのぼってHPにもUPしていきたいと思う。


まずは国際フォーラム直前、昨年の夏にさかのぼり・・
2005年7月24日

私は仕事で初めての韓国出張に出かけるため、羽田空港にいた。
ジフニのコンサートまであと一週間を切っていた。
7月30日の国際フォーラムのチケットをやっとの思いで手に入れたものの、なんとどうしてもはずせない中国出張の仕事と重なってしまった。
なんとか8月3日、4日の大阪のチケットが手に入りそうであったが、東京はあきらめるしかない。ジフニへの思いは募るばかり。

その愛するジフニがいる「韓半島」へ、初めて足を踏み入れるのだ。
仕事のスケジュールははきつそうであったが、心の中は期待でいっぱいだった。
バッグの中には、仕事の資料と一緒に、買ったばかりの「韓国語の電子辞書」。
ハングルはまったく読めないが、何かの役に立つかもしれない。

一緒に仕事に向かうKさんがやってきた。
Kさんも、仕事では私と同じく「中国語」を使っているが、以前に少しだけ韓国語を習ったことがあるし、ソウルもこれが2回目だと言う。
彼女と一緒の出張なので、私も何かと心強い。

舞い上がっている私は、ついつい彼女に、「実はね〜、今回ソウルに行けることになって、とってもうれしいんだ〜。」と、思わずニコニコしてしまう。
「え〜、なになに?」
「心の恋人がいるの〜。」
「え〜、だれだれ、ヨン様〜?」
「違うよ〜。」といいつつ、携帯の待ち受けを見せる私。

さすが、少しでも韓国語を学んだことのあるKさん、すぐに「ピ」という名前を読んでくれた。
こうして、搭乗までの間、Kさんに対する私のジフニについてのレクチャーが続けられた。
初めてのソウル〜。ジフニのいる町。いったいどんなところなんだろう。
今思えば、この時点の私は、それから今に至るまでのディープな展開は予想だにしていなかった。
動くジフニを、DVDでしか見たことのなかった私・・。まだ、その時は・・。


ソウル最終日の夜に食べた参鶏湯。お向かいに座っているのがKさん。このときは、まだその次の日に起こる出来事を、私たちは知る由もなかった。

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