炎にくちづけを
−イル・トロヴァトーレより−



久々の宙組観劇に行ってまいりました・・・
生では実に5年ぶり、和央さんのお披露目全ツ、わたるくん専科初公演以来(苦笑)
ビデオでは2作ほど観ましたが、なかなか縁がなく・・・
色々と思うことはありましたが、ま、とりあえず雑感を。。。



原作はオペラ「イル・トロヴァトーレ」で、内容を読んだ限りではなんだかダークな印象。
どう宝塚の舞台に相応しくアレンジするのかと思っていたら、基本的にはほぼオペラと同じ内容で
意外だったけど、そこはやっぱり先生らしい気もする。詳しい内容は歌劇やグラフで確認して下さい。
でも簡単に内容を・・・

15世紀のスペイン。アリアフェリア宮殿に住まうルーナ伯爵は、女官レオノーラに想いを寄せているが、
彼女は吟遊詩人マンリーコに恋していた。ある晩の宮殿、ルーナ伯爵の家臣の1人フェルランドが警護の
眠気覚ましに昔語りを始めた・・・20年前、ルーナ伯爵には息子が2人いた。ある晩、弟の傍らにジプシー
女がいるのを目撃した先代の伯爵は、呪いをかけられたと思い、ジプシー女を火刑にした。
その女の娘アズチューナは弟を連れ去り、探し回った伯爵たちは火刑のあった場所で幼子らしき骨を発見する。

レオノーラはマンリーコを待ちながら、気持ちの高鳴りを語る。そこへマンリーコに成りすましルーナ伯爵が
現れる。力ずくでレオノーラを自分のものにしようと迫るが、マンリーコが現れ決闘になる。とどめを刺す
チャンスを躊躇ったマンリーコは逆に深手を負い、なんとか森へ逃げ込む・・・
ジプシーたちが住む山の麓。マンリーコは母親アズチューナの看病を受け意識を取り戻す。
ルーナ伯爵にとどめをさせなかったという息子の話を聞いたアズチューナは20年前の出来事を語った・・・
先代の伯爵に母親を殺されたアズチューナは復讐のため、当時赤ん坊だった弟を連れ去り炎に投じた。だがそれは
我が子だった。『死んだのはお前だよ・・・』アズチューナの言葉に一瞬凍りつき、自分の存在に疑問を抱く
マンリーコ。だが仇を討ってくれと訴える母親のため復讐を約束した。一方で、マンリーコが死んだと思い込んで
いたレオノーラは修道院に入る決意をしていた。その知らせを聞いたマンリーコは彼女を取り戻すため修道院へ向かった。

ジプシーの助けを借りてレオノーラを助けたマンリーコ。だが幸せな時間も束の間、アズチューナが伯爵に
捕まったと知ったマンリーコは1人助けに向かう。アズチューナ共々捕まり投獄されたマンリーコ。
レオノーラは伯爵に取引を持ちかける。彼らを逃がす代わりに自分の身を捧げると・・・伯爵は申し出を受け、
逃げ道と鍵を渡す。急ぎマンリーコの元へ行き、教えられた逃げ道を鍵を渡しながら説明する。当然のように、
一緒に逃げようと即すマンリーコだが、レオノーラは一緒には行けないと告げる。彼女の様子から自分たちの
愛を裏切ったと勘違いしたマンリーコは責めるが、誤解だと訴えるレオノーラ。その時、彼女の身体に異変が
起こり倒れてしまう。レオノーラはマンリーコとの愛を守る為、毒を飲んでいた。思いのほか早くに毒が回り
マンリーコの脱出を見届ける前に息絶えてしまった。レオノーラがそう簡単に思い通りにいく女とは思って
いなかった伯爵はこの事態を予想しており、夜明けと共にマンリーコを火刑に処すと告げた。

磔にされたマンリーコ。それは20年前と同じ光景・・・いよいよ火が放たれ、炎がマンリーコを包む。
それを見たアズチューナは伯爵に向かって真実を叫ぶ。『それは、お前の弟だよ』思いもかけない言葉を
耳にした伯爵は、目を見開いたまま、ただ立ち尽くす・・・
『母さん、仇をとりました』天を仰ぎ叫ぶアズチューナの声が不気味に響いていた・・・



というお話で、なんだか後味悪い印象(苦笑)舞台全体も全編通して暗いし・・・豪華さもない。
↑に書いたのには宗教関連が出ていませんが、実際に舞台観るとキリスト教対ジプシーって対立が軸に
なってます。ジプシーは悪いことしてるワケじゃないのに、ジプシーという生き方とキリスト教じゃないって
だけで迫害され、命すら軽く扱われているという・・・人種差別故に起こった悲劇とでもいうのかな。
木村先生が取り上げる作品には色は違えど、そういう何時の時代でも大小差はあるけど消えることの無い問題が
入っていて、考えさせられる分、なんで夢を売る世界でわざわざこんなのを?という疑問も生じる。
ただ単純に楽しい、温もりある作品ってのが少なすぎる昨今の宝塚・・・宝塚にもかかわらず重いんだよねぇ、
なんだかさ。例えばこの間の「アーネスト・イン・ラブ」なんて、単純に楽しいっていう最たるものだったじゃ
ない。観劇後にはニコニコと笑って劇場を後にできて、思い出す度にクスクスと笑みが出る・・・そんな楽しい
作品の後だっただけに、正直この作品のダークさにはちょっと付いていけなかったトコロがある(苦笑)。
とはいえ、後からよく舞台を思い起こしてみると、結構好きな類の作品だったことに気付いた・・・

何より5年振りの宙組で・・・トップコンビ以下のみ顔ぶれが大きく変わっちゃって、ほとんどワカラナイのよ。
ガイチさんやタニちゃん、組長あたりの学年は分るんだけど、それ以外はもう浦島太郎さんよ(ーー;
顔も知らなければ名前も分からないという状態で、初心者に戻った感じ。なので物語の重要人物と分る人のみを
よく見て、あとは全体的に観察するっていう観劇の仕方となりました(苦笑)。

で、舞台の雑感というと・・・すごく共感を得られない作品っていう印象が強いかな。マンリーコにもレオノーラ
にも、迫害されるジプシーたち、その他の人物からも共感できるようなものは何一つ伝わってこない。
早く言えば感動を得られる作品ではないってこと。考える部分、教訓として変化を求める部分っていうのはある。
それ以外は、あまり何もないような気がする。あくまで個人で感じたことですが・・・唯一共感できるといえば、
アズチューナとルーナ伯爵。良くも悪くも人間らしい、それもマイナスな一面での共感。復讐や愛憎という部分で。
実際あそこまでやるか?と聞かれれば、自分にはできないと答えるけど(苦笑)でも感情として近いものはある
ように思える。だから2人から感じることはあった・・・と思ってる。

木村先生の舞台で気になるといえばセット。「王家に捧ぐ歌」では金ぴか豪華な印象、「スサノオ」ではごく
シンプルで場面に合ったセットが組まれ、「アーネスト・イン・ラブ」でも必要最小限でコンパクトに分りやすい
セットでした。今回もダークな内容ではあるけど、背景としてもセットとしても使われている装置は良かった。
トゲトゲしい樹のような印象で、各場面ごと効果的に使われていたと思う。観劇から数日して歌劇の座談会を読んだ
のですが、ほぼ全場面で背景として使われていたのは樹のようにも炎のようにもみえるようにと、先生が注文した
ものだそうで。出来上がったものは棘をモチーフにしたものだったとか。なるほど、と納得したu-tsuは思わず
キリストの頭上にあるものを思い出しました。セットの効果で場面の印象も変わるんですけど、全編通してダーク
な冷たい感じを受けたのは、もしかしたら脚本の内容だけじゃないのかもしれない・・・
でも、u-tsuはあの棘のセットは好き。1つの物で色んな側面を表現してて、舞台装置ってやっぱり重要だと思った。


で、役に関してなんですけど、正直あまりコメントはない(苦笑)、でもちょっとだけ・・・

マンリーコ=和央ようか・・・座談会読んだら今回の役はハタチそこそこなんですね。無理ありすぎなんじゃ?
ご本人、あまり年齢には拘っていなくて、若さ故の勢いが結果その年齢に繋がればってことですが、それは結構
表現できているのかもしれない。なんてのかな。何事にも一直線というか、思慮深いことなく、考えよりもまず
行動っていう部分があって、それがマンリーコという人物の特徴でしょうか。若さ故ってだけでなく、本能に忠実
というか・・・レオノーラに対しても母親に対してもそういう感じなので、マンリーコにとって特別という存在は
ないようにも思えてしまう。優しいといえばそうなのかもしれないけど、自分の周囲を同列に考えているようにも
取れるので、ロマンスという部分ではどうも1本筋が通りきっていないような感じがしてしまうかな。

以前から雪っ子だったu-tsuは久々に生観劇復活した5年前、和央さんが2番手として舞台に立っている姿を見て、
何時の間にやら大きくなって〜という心境で、全ツお披露目でもそんな印象でした。でもその後、大劇お披露目と
「カスミラ」とビデオのみですが観てて、あまり役作りに対して変化のない人だなぁと感じてしまった。
作品に恵まれなかったというか人物に恵まれなかったというか・・・どちらも当てはまると思うんだけど、
それプラス本人の役作りの点でどうも薄い人だなと。なので、それ以来は足が遠のき、宙組自体から離れてしまって
いました。そんなワケで期待感無しで観劇に挑んだのですが、このマンリーコに関しては予想外に良かった(苦笑)。
年齢設定聞いちゃうと、えっ?!って感じなんだけど、上にも書いたように人物像が上手く出ていると思う。
観劇中は結構しんどいなぁって思ってたんだけど、しばらくしたら、あの役はあれで良いんだなと自然に感じたし。
結果的にマンリーコという人物がこういう人なんだと感じることができれば良いのだろうし・・・
この役って、生い立ちと悲劇的結末を迎える以外には特徴がコレといってないような設定なので、演じる側は
表現の仕方に苦労はするんじゃないかな?そんな条件でも、たかちゃんは良い選択で作ってると思う。


レオノーラ=花總まり・・・女官ってことになってるけど、女官には見えない。どうみてもルーナ伯爵と同等の
家の令嬢とか、姫ですね。若しくはそれ以上(苦笑)。レオノーラは当時の貴族や宮殿に仕える人とは考え方や
感じ方、ものの捕らえ方が違う人だってことは彼女の行動を見ていれば分る気はします。が、マンリーコへの気持ち
の表現というか伝え方が、あまりにも独りよがりな印象が強くて、正直こういう人のことは理解し難い(苦笑)。
馬上試合で勝ち残った名前も知らない青年に月桂樹の冠を与えてから恋焦がれてしまう・・・らしいんだけど、
なんだか無理がある。一目惚れっていえばそれまでですが。それならよくある話だから良しとしましょうか。
でもね、一番納得いかないのは、修道院にレオノーラを救出に行ったマンリーコとジプシーたちが命を賭けてその
行方を黙っていたのに、いきなり走り出てきて彼らの死を無駄にしてくれちゃうことよ。タニちゃん演じるジプシー
でマンリーコの幼馴染パリアから順番に、レオノーラと自分たちの誇りを守るため銃殺されていったのに、
マンリーコが生きているのだけを確認したレオノーラは「間に合った」って安堵するんですよ。なんだコイツは?!
って思っちゃったですよ。あんたの為にどれだけの仲間が死んだのか分ってんのか?!って感じ(苦笑)。
マンリーコは「間に合わなかった・・・」と言ってましたけど。なんかその時の彼は気力ないって様子だったかな。
結局マンリーコは投獄されちゃって、どうしても彼を助けたいレオノーラは伯爵に取引を持ちかけながら毒を
飲んで死んでしまう・・・マンリーコの行動も不可解に感じたけど、レオノーラの行動もなんだかよく分らない。
こういう状況の時、死ぬ道を選ぶほうが楽に思えてしまうのは気のせいだろうか?すごく愛情を持った人を失った
時、それでも生きる道を選ぶほうが難しく勇気がいることだと思える。自分の為に殺されてしまった人のことを
考えたら、安易に死ぬことは選べないような気がするんだよね。もちろん、レオノーラも十分悩んでの決意だとは
思うけど、ただマンリーコとの愛のために身を守る手段としてっていう理由じゃ・・・ジプシーの死はあまりにも
バカバカしく思えてしまう。なので、u-tsuはレオノーラが嫌い(苦笑)あまりにもあんまりで、言葉もない感じ。

役作りは、どうなんでしょ。こんなu-tsuみたく嫌い、身勝手という印象だけを受けてしまった作り方は成功か?
いや、成功じゃないよね(苦笑)そのマイナスな印象の中にも一途さや彼女なりの生き方、選択などがある意味
観客に肯定されないと宝塚のヒロインとしては成り立たないと思うけど・・・このレオノーラからはヒロインの
存在感を感じられない。世界は2人のために〜って印象が強くて、どうも納得いかない。パンフのあらすじ読んで
もそうだから、元々がそういうキャラクターなのかもしれないな。でももうちょっと丁寧に演じても良かった
のじゃないかという思いはある。とても雑な芝居だなという感じも受けたので・・・
どちらかといえば、以前の方が演じ方が丁寧だったように思うのは気のせいでしょうか?


ルーナ伯爵=初風 緑・・・最後の公演で悪役とも言える濃いガイチさんが観れるのかと思っていましたが、
意外にもそんなに悪人じゃなかったという印象。同じ人間を火あぶりにするよう命令したり、好きな女性を力ずく
で自分のものにしようとしたりと行動が極悪非道ではあるけど、人間としては孤独感が強い人という・・・
やり方は間違っているんだけど、心情に共感できる分、悪役という風にはあまり感じなかったかな。
ヘンな言い方だけど、観てるこっちまで憎らしくなるっていう悪人じゃなかったの(苦笑)。
この人は伯爵として生きてきたワケで、普通の人よりはずいぶんと生きるための環境に恵まれていて、でもその
地位の為には常に義務や権利がくっ付いてきて、それ故に苦労や悩みも人知れずあったんだろうなぁと・・・
なんか傲慢で偉そうなというよりは、ちょっと疲れきったような影のある人に思えて、可哀相な印象がある。
なので、濃い悪役ではなく、ちょっと悪い不器用なお坊ちゃんという感じ(^^)
ガイチさんの役作りがそうなのか、それとも模索中で中途半端な印象なのか、設定がそうなのか分りませんが
かなり意外な印象が残っている役ですね。時間が経つと余計に可哀相な感じが増すし・・・なんでなんだか?


その他は・・・マンリーコの母親アズチューナの一樹千尋さん。存在感あって、うん、上手い。
自分の手で我が子を炎に投げ入れてしまった忌まわしい過去を持ち、その悲しみを憎しみに変えながらも
敵の息子であるマンリーコを育てていくという、矛盾だらけの人生を負うアズチューナ・・・
マンリーコも破綻な人生だけど、それに負けてない。どれだけ精神的に強ければそんな生き方ができるのか。
敵の子供であっても愛情を持って育てたはずのマンリーコが磔の上、火刑になった。助けたい気持ちもあった
のに、それ以上に復讐を遂げる気持ちの方が強かった。ルーナ伯爵に対してマンリーコの素性を叫んだ時の
アズチューナは不気味な感じさえした。悲しみよりも達成感の方が表に出て、精神的に病んでるという印象。
それとなくマンリーコを洗脳している感じまでして、その他のジプシーとは色が違って面白いと思う。

ジプシーの頭領パリアのタニちゃん、ドレッドヘア姿を披露してていつもと印象が違うかな。
ワイルドさがあって男らしいと言いたいが、あまり似合っていない。タニちゃんてシンプルな格好のほうが
断然カッコイイと思うんだよね。特別飾らなくても、そのままで十分目を引くし。今回はジプシー役だから
あのような扮装なんだろうけど・・・ジプシーのリーダーとしては若干頼りなさそうにも見えるけど、
まぁ可もなく不可もなくっていうところでしょうか。タニちゃんは月組時代以外は昨年の星特出しか観ていない
のですが、なんか印象が薄くて意外でしたねぇ。タニちゃんだけでなく、全体的に存在が薄いっていうか。
組に活気がないっていうのかな、今回はどちらかといえば話の内容上団体力が必要になると思うんだけど、
それが感じられない。群集のコーラスなんかは良かったと思うんだけど、ジプシーと伯爵側と対立している
にもかかわらず、そこへの気持ちがあまり出ていなくて小ぢんまりとしちゃってる感じ。王家もスサノオも
群集のパワーってのがすごく伝わってきてたのに、それが弱い。ジプシーは虐げられている割に物分りが良すぎ
ていて、されるがままっていうか。言葉は悪いけど、逆らって復讐を遂げるとかっていう気迫がなくて・・・
それは伯爵側にもいえる事で、なんかこう中途半端な統治の仕方で家臣に力を感じないし・・・
内容云々の前に、物足りなさが大きくて地味だった(苦笑)作品のせいだけではないような気がするが・・・

印象に残った場面は中盤過ぎたあたりの【三ヶ月】という、ルーナ伯爵と家臣たち。修道院からレオノーラを
連れ出したマンリーコたちを追って探し回っている時間経過を表現している場面。時間経過はもちろん、伯爵の
傷ついた心情なんかも見て取れて、何よりその演出の仕方が良かった。セットがちょっと怖かったけどライトも
効果良く使われて斬新だった。そしてジプシーたちが銃殺される場面での演出方法。衝立に入っていくとライト
が当たり、影だけが客席から見え、銃声と共に倒れるという・・・影しか見えないことで、余計に恐怖感を煽る
というか。仮に、これが現実として自分がそういう場に居合わせていたら、その物陰で折り重なるように死んで
いったことを肌で感じるだけで正気を失うんじゃないかと。見えないからこその恐怖感を得る演出でした。
でも、ちょっと銃殺される人数が多すぎて、せっかくの演出がちょっと勿体無かった感もあるけど(苦笑)。



「炎にくちづけを」の雑感はこんなものでしょうか。
観劇中はかなりマイナス評価で、この雑感でもあまり良い印象はないかもしれませんが、
今ではもう1回観たいなぁと思えるほど印象が変化してます(^^ゞ
内容をじっくり観察したいのと、役の心情をもう少し理解できたらなっていうのがあって・・・
キリストだの宗教だのって部分には共感も興味もないんで観ててキツイなと思うんですけど、
そんな部分も含めて隅から隅までよ〜く観直せたらいいなぁと。宝塚的な作品ではない部類ですが、
こういう内容でドロドロした印象がないのは宝塚だからじゃないかと思う。

それにしても5年ぶりの宙組観劇・・・久々過ぎたのがいけないのか、すっかり苦手な組になっていた(苦笑)





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このページの壁紙、Clipartは『13−Thirteen』様からお借りしました