JAZZYな妖精たち
REVUE of DREAMS


2005.12.3 月組東京宝塚劇場公演







新月組のお披露目公演を観劇してきました。
2002年の東宝「長い春の果てに」以来の生月組・・・
懐かしいというよりも、月組らしからぬ印象を受けちゃいました(苦笑)
そりゃ3年もご無沙汰してれば仕方ないですけどねぇ・・・
ま、とりあえず、雑感などつぶやいてみましょうっ


「JAZZYな妖精たち」という演目から想像したのは、劇中にはジャズが使われるだろうということ。
そして登場人物たちもジャズという音楽に日常から親しんでいて、そういう場所に生まれ育った
若者の青春時代が描かれているのだろうということ・・・あまりに安易ですが、そんな単純なこと
しか思い浮かばないu-tsuでして(苦笑)でも実際には全く違い、意外で予想外で疑問な内容・・・
詳しい詳細は歌劇やグラフ、公式HPなどで確認してもらうとして。なぜ↑のように感じたのか?

まず1番違和感あったのは題名からイメージする、若しくはできる、内容とのギャップかな。
もうさ、u-tsuなんて単純だからJAZZY=ジャズ風なんですよ思い浮かべるのが。もちろん音楽のジャズね。
でも劇中ではジャズの印象はちっともないし使われているのかも不明なの。そこに妖精がくっつくから
頭の中は?マークいっぱい。主要人物の若者を妖精に例えているんだろうか?とも考えたんだけど、
ホントの妖精役が登場しちゃったから更に混乱(苦笑)題名っていうのは物語の内容とは直に結びつかない
ことが多いけど、でも内容を暗示してたりキーワードになっていたり間接的な言葉で表現されるじゃない。
だからサクセスストーリー的なものを想像しただけに、冒頭から否定されちゃった感が強かったな・・・

因みに、JAZZYってのを辞書で引くと【ジャズ風の】の他に【活発な・はでな・はなやかな】ってのがある。
さらにJAZZで引くと音楽のジャズ以外に【威勢のいいこと・元気・活気・熱狂】
【(劇などの中の)にぎやかな喜劇要素】【大うそ・たわごと・ナンセンス】など俗語や動詞で使い方は
変わってきますが、意味は意外と多いようです。個人的にはこの作品自体が【大うそ・たわごと・ナンセンス】
って感じがしますが(^^ゞ ただ、JAZZYってのを音楽のジャズ以外にあてはめると、題名と内容との
差は若干埋まるんじゃないかなぁとは、今なら思えるかも。観劇直後はものすごい違和感でしたが・・・


で、2番目の違和感ってのが妖精の存在。主人公パトリックとシャノンが子供の頃に妖精を見たという設定
ですが、それ自体には何も問題はありません。大人になった時代にそれを登場させるのも良いでしょう。
でもこの作品に出てくるあの妖精たちの存在理由が不明すぎだなと思う。もちろん、オーベロンたち妖精が
ニューヨークにいる理由はちゃんとあるんだけど、あまり本筋には関係ないし、何より実際の出番はいらない
印象が強い。妖精の登場が必要っていう正当な理由が見つからない上に、妖精らしさのかけらもないんだよね。
妖精らしさの基準っていうのはあくまでも想像だし、それすらも個人の気持ち次第だから何ともいえないけど、
人間との違いはきちんと表現しなくちゃいけないのじゃないかと思った。観てると田舎から都会へやって来た
団体客という感じで柔らかさや夢のような華やかさなんかがないから、なんか旅回りの芸人みたい(苦笑)
あれは衣装がマズイよね。妖精=自然っていうイメージで衣装がグリーンってのは、まぁいいけど、
デザインは妖精的じゃなかったなぁ。どっちかってぇと中世の騎士とお城の侍女みたいだよね・・・
オーベロンなんか妖精王だっていうのに、全然そう見えない衣装で気の毒だったもんなぁ。
一応白い大きな羽が付いてるけどアンバランスだから威厳も貫禄もなかったし・・・
どの妖精も妖精ってのを考えて作られた衣装じゃないから、妖精だぞ!って言わないと現代にタイムスリップ
しちゃった中世の人たちにも見えるんだよね(苦笑)もうね、微笑ましく観れる状態じゃない。
最初の登場なんて頭かかえた。やたらと登場までの説明台詞が長いんだもん。しかも姿を隠すために葉っぱの
幕を持って移動(苦笑)面白すぎです、谷先生っ。でもって現れた妖精があんなんじゃ、もうやりきれません。
ただでさえ現在に近い現代が舞台なんだもん、そこへ妖精を出すからには中途半端な設定じゃ説得力ない。
シャノンの想像上の存在ならあれでも通るだろうけどねぇ。それにしても、ムボウだよね・・・
妖精やファンタジーをやるなとは言わない。でもどーせやるなら大人が観ても耐えうる内容を見せて(ーー;
演じている生徒さんが気の毒で見ていられない(苦笑)しかも、不思議なもんで普段は上手いと思ってた
人までも、なぜか下手に見えてしまう・・・恐るべし、谷マジック?


それから3番目は脚本そのものに違和感(苦笑)これはほとんどの公演で思うことだけど、今回も例外なく。
パンフにある谷先生の言葉を見ると、「JAZZ」+「妖精」=瀬奈じゅん・・・ってあるんだけど、個人的には
瀬奈くんは妖精じゃなくて、「俺様」だと思っていた・・・今回のお披露目観てても、役に合わせているって
いう印象が強くて、なんか無難な役作りに終始しているように感じちゃったんですよね。
もちろんこのパトリックという役は誠実でマジメで優しくて、欠点が見つからないような白い役だから、
あまり瀬奈じゅんという男役を前面に出さないほうがイイのかもしれないけど、あまりにらしくない感じが
してすごく物足りなかったんだよなぁ。内容がイマイチでも、キャラに対しては興味惹かれたりすることって
結構あるのに、このパトリックに関しては全く興味が持てない。何故なんだろうか?大統領になろうと志す
パトリックの過去にも未来にも魅力を感じないってのは何が原因なんだろうねぇ?
どちらかといえば同じ孤児院育ちのウォルター、ティモシー、ミックなんかの方が興味あったりするな。
それはやっぱりu-tsuが宝塚の白い主役嫌いだからなのか(笑)?

宝塚が宝塚であるためには、主役はやはり非現実的な夢のような男性像であるべきなんだとは思う・・・
それは十分に承知してるし理解してる。でもやっぱりそれだけじゃ興味惹かないし、内容に関わらず同じキャラ
ばかり演じることになる部分が大きすぎる。だから理想的な男性像の中に、どれだけ現実的な特色を入れられ
るか・・・これは作家・演出家の腕にかかっていることじゃないのかな?で、描かれていることを実際に表現
するのが男役の役割で、いかに客席の共感を得るか、憧れさせることができるか・・・センスと技量が不可欠。
そういう観点からいえば、瀬奈くんとパトリックの間には大きな溝があるように思える。
いかにもパトリックを演じているという感じで自然さがなく、わざとらしさすら感じる時があったし・・・
役作りも未だ模索中って印象があって、パトリックという人間性にモヤがかかっている感じもしたなぁ。
もちろん、どんな役でも公演でも千秋楽まで役作りの答えが見つからないことは多いだろうし苦労もあるだろうけど。

主要キャラ5人が孤児院で育ち、1人は政治家、1人は童話作家、1人は警察官、1人は悪徳記者、1人は殺し屋に成長。
そりゃぁ100人いれば100通りの人生ってのがある世の中ですが、5人でこれだけ色の違う職種ってのもスゴイ(苦笑)
作り物の世界だからこんなのもイイのかもしれないけど、この5人を通して何を言いたいのかっていうのが分らないから
共感できないし何かを感じることも難しい・・・シャノンの白血病という不治の病と妖精のお話を絡めて、夢見る事や
人を信じる気持ち、人としての在り方や生き方という深くてシンプルなテーマは感じられる気もするけど、不自然な設定
だからかホントに表現したいものが見えなくて複雑になっちゃったかなと思える。物語の核に相応しい山場もないし、
なんかダラダラと話が広がるだけで結末もあやふやなまま終わっちゃった印象が強いよね・・・
どうもラストは大劇版から変更されているようなんですが、どっちが良いともいえないような感じ(ーー;

もうとにかく観客の気持ちだけではフォローしきれない作品とでもいいましょうか(苦笑)
庇い立てできる見せ場もないっていうか・・・強いていえばプロローグのアイリッシュダンスは印象的だったな。
宝塚初で興味津々だったし、隊列なんかは2階から観たらすごくキレイだろうと思えるような動きだった。
上半身は真っ直ぐのまま脚だけで踊るってのは難しいことだろうし、いつもと違う身体の使い方だからお稽古はさぞかし
大変だったんだろうと想像できる。u-tsuは脚中心に見入っていたんですけど(笑)、途中キレイな脚さばきだなぁって
顔を確認したらキリヤンだった。無駄がない動きっていうか、キレイで丁寧で、それでいて曲に乗れていて・・・感心よ。
でもこのアイリッシュダンス、本編には全くと言っていいくらい関係ないよね。しかも妙に長いシーンだし。
このダンスの後にまだプロローグが続くんだよ・・・一体どういう意図があったのやら、首を捻ってしまう(ーー;
プロローグに時間費やすなら話の内容を良くする為の場面でも作ればイイのにって思うよね・・・

あぁ・・・あまりにガッカリしすぎて主要人物の感想は書けません(苦笑)
ホントにしんどい1時間40分でした・・・



ショーの方はプロローグが石田先生チックなメタル系の印象でしたが、スピーディーでちょっと昔のショー作品を
彷彿とさせる感じがしました。無駄に長いどころか、これでプロローグ終わりなの?ってくらい短く感じたし。
u-tsuが好きだったのは砂漠の場面。新鮮さもあり宝塚らしくもありっていう印象でした。振付のせいか、手の動きが
キレイに見えるんですよ。もちろん男役としてね。星組の「ソウル・〜」でヤンさん振付の時も手の動きや見せ方が
キレイで、宝塚の男役ってこうじゃなきゃね〜って思ったんですが、この砂漠のシーンでもその点が良かったなぁと。
あとは未来への夢っていう黒い衣装で全員が踊る場面が印象に残ってます。何が印象的って男役さんの衣装がイイ(^^)
友人曰く「ホテルのドアマンみたい」とのことですが、u-tsuにはホストみたいに見えた。ここはちょっと時間的に
長い気がしますが、好みの衣装でカッコよく踊っている男役さんを観てるともう少し観ていたいという気になるから不思議。

新コンビのお披露目といえば、個人的に楽しみなのが大階段のデュエットダンス。今回もそれを楽しみにしてました。
が、お芝居でもショーでもコンビ2人の場面が多く、新鮮なはずのデュエットダンスは残念ながら新鮮味に欠けいた・・・
しかも新コンビという初々しさも感じられず、楽しみはかなり下降(苦笑)この原因は一体ドコにあるんだろうか?
コンビの絡みが少なすぎてもダメだけど、必要以上に絡みすぎなのもどうかと思うんだが・・・こういう意見はヘンかな?
確かに各組にトップコンビがいて、常に作品の要となるのが宝塚なんだけど、ショーと芝居と2本立ての時はもう少し上手く
人材を配置してほしいと思うんだよね。どの場面も同じ人しかセンターに立てないんじゃ、作品の内容なんてどんなんでも
みんな一緒にしか見えない。娘役なんて特に活躍の場が限られているんだから、なおさら上手く配置してあげないと・・・
こんなにトップ以外の娘役が印象に残ってない公演って10月に観た宙公演とこの公演くらいだ(苦笑)

u-tsuが1番楽しんでいた頃は娘役の層も厚くて存在感ある人多かったし、人材配置も隙のないことが多々あったのになぁ。
生徒さんにしても積極的な印象を持つ人が結構いて、そういう人の活躍を観るのは楽しいし頼もしくも感じたのよね。
でもそういう人の出現も年々減り続け、娘役とは何ぞや?という気持ちで舞台に立つ人の存在を感じないこの頃・・・
もちろん努力を惜しまず頑張っている人は沢山いると思うけど、それが舞台上で反映されないきゃ意味がない。
なんたって観客は生の舞台でしか役者を判断できないんだから。普段の結果は舞台でしか見てあげられないんですよ。
だからこそ演出の先生方には上手く魅力を引き出し、さらにそれを舞台でどう活かして配置するかっていうのをよく考えて
ほしいと思う。結構内容が宝塚らしい作品だっただけに、なぜ配役に気を使ってくれなかったのかと残念だし不思議に思う。




新生月組のお披露目でありながら、心から楽しめなくて残念でした(ー。ー)
機会があれば、次回の公演を新たな気持ちで観たいなぁと思ってます・・・





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