もう一つの 
王家に捧ぐ歌


すれ違う、思い−アムネリスの望むもの〜後編


無感情な声に引き止められたラダメスは、自覚なく王女を警戒するように距離を保っている。
背を向けたままのアムネリスは、その気配を僅かなに感じ取りながらも話し始めた。


「私が聞きたいこと・・・それはあなたの愚かな夢のことです・・・
 あなたの云う平和とは、一体どんなものなのですか。」

「愚かな、夢・・・?いいえ、あれは愚かな夢などではありません。
 誰もが平和に生きることができる世界・・・誰も虐げられず、争いのない世界・・・
 敵も味方も区別なく、誰もが自由に生きる。いま、我々が生きているこの地上に
 築くことができる世界です」

「長い、この世の歴史の中で、多くの戦いがありました。いえ、今も戦いは続いています。
 それはこのエジプトとエチオピアだけでなく、多くの国々の間でも・・・何一つ変わらない
 戦いある歴史・・・私には戦いのない世など存在しないとさえ思えます。
 それでもラダメス、あなたは平和な世などというものを信じるのですか?
 我々と同じ人間が築いてきた戦いの歴史を知っても、そんな世界を築けると
 本気で考えているのですか?」

「否定ばかりしていては何もできない、何かを始めなければ・・・誰かが新しい世界へ
 飛び込まなくては何も得る事はできなない!」


王女という高貴な身で何事も思い通りだが、国を統治する者として魂を縛られたアムネリス・・・
王族と国を護るために命懸けで戦う戦士でありながら、魂は自由に飛べるラダメス・・・

すぐ近くに、目の前にいるにも関わらず、2人の壁は大きく厚い・・・


「・・・失礼致しました」


自分の気持ちを理解してほしいと、ついつい声が大きくなってしまったラダメスは頭を下げた。

アムネリスは何も言わずに向きを変えるとセクメトの像を見上げた。


゛女神セクメト・・・あなたは、戦いがなくなるを日を想像できますか?
 そんな世界を築けると思いますか?もし、そんな日が訪れたなら、戦いの女神であるあなたは
 どんな思いで世界を見つめるのでしょう・・・"


「いつか・・・以前にもこの場所で、偶然、居合わせたことがありましたね」


再びラダメスを振向くと、アムネリスは静かな声で告げた。


「エチオピア討伐の前夜、でしたか」

「・・・はい」

「あの夜、ほんの束の間、あなたの腕の中で幸福な時間がありました・・・
 でもそれはすぐに醒めてしまった。あなたの心は私から離れていたから・・・」


゛そうではない"
そう続けたいが、不意をつかれて言葉に詰まるラダメスは堪らず、
アムネリスを見ないようゆっくりと背を向ける。

その背中を見つめた王女は言葉を続けようとして、何かに見入る・・・
それはラダメスの右肩あたり、肩鎧と胴鎧の繋ぎ目から見える、衣服に滲んだ赤黒いシミ・・・
不自然な場所に描かれた血の色に、アムネリスは大きく目を凝らす・・・


「怪我をしているのですか?!」


慌ててラダメスへ駆け寄り心配そうに見上げる。
その心配そうな表情が、いつも威厳と気高さに包まれた王女とは違い、
ごく普通の可愛らしい女性としてラダメスの瞳に映った・・・

 
゛変わっていない・・・いつだって私を気に掛けている。仲間でさえ気付かない小さな変化さえ、
この人には隠しきれない・・・気持ちの変化さえも・・・"

「痛むのですか、ラダメス?」

「あ、いえ、ただのかすり傷です。大したことはありません」 


慌ててそう云いながら心配を和らげようと、右腕を振り上げて回してみせる。
途端、新たに鮮血が滲み出し、シミが大きく広がる。


「無茶をしないで!傷口が広がってしまいます!」


ラダメスの軽はずみな行動を注意し、自ら肩鎧を外しにかかる・・・だが長身のラダメスの
肩鎧を外すのは困難で、アムネリスは上目で見ながら告げる。


「座ってください」

「あ、アムネリス様、何を・・・」
 
「座りなさい。手当てをしなければ、治るものも治りません!」


有無を言わさぬ口調でピシャリと云われ、流石の将軍ラダメスも大人しく従うしかなく・・・

鎧が外れると、祭壇にある神酒を持ち出し、ラダメスの背後にまわって傷が確認できるよう、
斬られたシャツを更に裂く・・・傷はかすり傷などではなく、右肩からほぼ真下に斬りつけられていた。
あまり深い傷口ではないものの、思っていたよりは大きい・・・

゛こんなに大きな傷が・・・・"つぶやいてドレスを引き裂く。
その音が自分のシャツでないと気付きラダメスが振り返る。


「前を向いていて!」


再び厳しい声に言われ仕方なく向き直ると、傷口に冷たいものが降りかかる・・・
思いのほかしみて、僅かに顔を歪めた。

その傷口を何度か神酒で消毒し、ドレスの切れ端で血をきれいに拭きとるアムネリス。
出血が止まったのを確認し、今度はケープを長く切り裂き包帯替わりに肩から傷口にかけて
巻いていく・・・結び目を確認すると、ラダメスの肩鎧を着けなおしながらアムネリスが訊ねる。



「一体、なぜ・・・あなたがこのような怪我を負うとは・・・何があったのです?」

「戦では、何が起こるか分かりません。私は自ら囮になり、敵を追いつめただけです。
谷に挟まれた狭い場所だった為に動きは制限され、敵との距離も近く・・・一瞬、視界が
きかなくなるほど敵味方が入り乱れ、その時に背後から・・・」

「そうでしたか・・・その者はどうしました?あなたが取り逃がすとは思いませんが?」

「それが・・・殺すわけにはいかないので、捕虜としてこのエジプトに・・・」

「殺せないとは、何故です?」

「エチオピア王・・・アモナスロだったのです」

「なんですって?アモナスロに負わされた傷なのですか?」


驚くアムネリスに向って無言で頷く・・・
憤り、立ち上がるとラダメスを見下ろすアムネリス。


「ラダメス。命を傷つけた人間を生かしておくと、あなたはそう云うのですか?
エチオピアを解放すると、本気で云うのですか?私には分からない・・・私には許せません!
誰であろうと、あなたを傷つけた人間を許すことなどできない!」

「アムネリス様・・・ですが、ファラオは私の願いを聞き入れて下さいました。
王女のあなたでも、それを覆すことはできないでしょう」


理解できないラダメスの行動に不満と怒りを覚えながらも、どうすることもできないアムネリスは
神酒を手に取ると祭壇へ戻し、そのまま所在なく佇む・・・

その背中に、静かな声がかかる。


「アムネリス様・・・私は戦士です。戦へ赴き、国を護ることが勤めです。どんな危険も・・・
死ぬことも、覚悟のうえです。私の命で国を、民を護ることができるのなら、惜しまずに
命を賭けましよう。それがエジプトの戦士です」

「私がそれを喜ぶと思うのですか?あなたの命のうえに築かれる安泰など、私にとって
どれほどの価値があるというのです?あなたのいない世など、私には何の価値もありません!」

「アムネリス様!」


国を背負うものとは思えない言葉を発してしまったアムネリスを、強い声が制止する。
沈黙が場を包み込み・・・2人の間には緊張が漂う・・・

我に返り、冷静さを取り戻したアムネリスは、やっとのことで言葉を発する。


「忘れて下さい、ラダメス。今の言葉は・・・私のものであって私のものではありません」


だがその声に威厳はなく、心成しか震えているようだった・・・

思いがけず口にしてしまった心の奥深い本当の気持ち・・・聞いてはならない言葉を記憶から
消し去ってしまうのは難しいが、ラダメスは深い一礼でそれに応えた。

ラダメスが顔を上げると、ふと眼差しがぶつかり・・・遮るものなく、2人はお互いをじっと見つめる。


゛いつだって、懸命な人だった・・・王女と女性との間で揺れ動く心を全てから隠し、
気高い耀きに包まれたその姿に、みなは憧れを抱かずにいられない・・・
誰よりも繊細で、心は何よりも脆い・・・だが私は、この人の想いに応えることはできない"


「そろそろ、職務に戻ります」


先に口を開いたラダメスは、告げると一礼する。


「そうですね・・・皆も待っているでしょう」


ラダメスは王女を見ずに背を向けると扉へ向った・・・

アムネリスは祭壇へ向き直り、セクメト像を見上げる・・・


石の広間にラダメスの靴音が遠ざかると、音もなく、崩れるようにアムネリスは座り込む・・・


゛なぜ、あんな風に云ってしまったのか・・・気持ちが遠ざかるのを感じながら、ラダメスへの
気持ちを抑えられない・・・私たちの思いは平行線のまま・・・どこかで出会うこともない・・・
あの人の心がどこへ向いているのかは知っている・・・でも、私の望むものはラダメスだけ・・・"

「ラダメス・・・あなたの望む平和がどんなものなのか、いま少しだけ、時間をあげましょう・・・」


しばらく放心状態にいたアムネリスは、姿勢を正すと改めてセクメト神へ勝利の報告を始めた・・・



大広間を抜け神殿の入口へ姿を現すと、アウウィル、ターニら王女付きの女官たちは控え、
メレルカ率いる戦士たちは直立し一礼する。

陽は沈み、あたりはすでに薄暗く、回廊や中庭に灯された松明の灯が鮮やかに揺れる・・・


「待たせましたね」


そう告げたアムネリスの顔色が青白く見え、アウウィルは思わず声をかける。


「ご気分が優れないのですか?お顔の色が少し・・・」

「アムネリス様、そのお召し物はどうなさったのですか?!」


アウウィルの言葉を遮るようにターニが驚いた声をあげる。

その場の全員の目が、アムネリスの破けた衣服へそそがれる・・・


「ラダメスが怪我をしていたので、私が手当てをしたのです。包帯代わりになるものが
手近になかったので、私の着ているものを使いました」

「呼んで下されば私たちがいたしましたのに・・・」

「いいのです。私が、そうしたかったのですから」


ほんの少し微笑みながら答えるアムネリスが、アウウィルには哀しげに感じられた。
だがもちろん、無用な言葉はかけない。


「戻ります」


短く告げられたアムネリスの言葉を合図に、来る時と同じように護衛が配置されると
メレルカを先頭に一行は歩を進めた・・・


裂かれたケープが微かになびく・・・

昂然と顔を上げ気高く歩む・・・


だがその背中は声もなく泣いているように見えた・・・


離れる靴音だけが、王女の耳に残っていた・・・






DVDを見てて、アモナスロに斬られた傷の手当てって誰がしたんだろ?
って、なんか気になってて、願望的にアムネリスが気付いて
ムリヤリ手当てしちゃったのかなぁ・・・なんてね(ーー;
3度の銅鑼ではラダメスに内緒で結婚の話しが進んでいて、
プライドを捨ててまで、ある意味、暴挙ともいえる行動に出て
しまったアムネリスの切羽詰ってゆく心情なんかも気になって
おりまして・・・その辺も交えたら、こんなんなってしまいました(苦笑)

それにしても、自分はつくづくアムネリス派なんだなって思う・・・
イヤだなと思う部分もあるんだけど、不器用さが可哀想っていうか。
ただの同情なのかもしれないけど、それでも、伝わってくるものは
アイーダよりも大きく感じるかも・・・

Home Menuへ Home Menuへ        王家に捧ぐ歌/目次へ