欧州を舞台に、魂のシャンソン歌手アリステェテッド・ブリュアンと、
謎の伯爵婦人アデルの愛の行方を中心に、ベル・エポックを
謳歌した芸術家たちの青春群像を描く―1914/愛 ―

公演を観劇前に、ちょっとだけ作品の時代背景や
登場人物を探ってしまおう〜(^0^)
ということで、また公演について雑談します・・・



― 其の参 ―

日々、どんな内容の公演なんだろう?と考えてますが、
全く想像つかないu-tsuです・・・
芸術家があまりに多く、この人物たちがどのように
ブリュアンと関わっていくのかが謎なもんでして(苦笑)。

当時、ピカソやゴッホをはじめ、現在は誰でも知っている
有名な画家や芸術家たちの多くが通った店。
それはカフェとキャバレーを合わせたような店で、
シャンソンが流れ、詩の朗読があり、フレンチカンカンを
踊り子達が披露する。そんな店の一つが「ラパン・アジル」。
ブリュアンも、そういった店で自分の芸術を披露していたのかな。
彼はシャンソン歌手ですが、作詞家でもあり即興詩人であった人です。
形式に縛られるのが嫌いで、どちらかといえば庶民的だとか。
また商才に長けているというマルチな人物のようです。

でも舞台のブリュアンはどんな人物なのでしょうねぇ?
シャンソン歌手と「ラパン・アジル」の経営者って設定は同じ
だけど、それ以外は謎のままって感じですよね。
貴族でありながら貴族社会にウンザリしている・・・って
ことくらいしか分からな〜い。
檀ちゃん演じるアデルとはどんな出会い方なんだろう?
花嫁候補として出会うのか?それともそれ以前に2人は出会うの?
大体、花嫁候補って誰が連れてくるんでしょう?
ブリュアンが自分で連れてくるってことは、考えられないですよね。
だって貴族社会がイヤでパリに逃げ出したくらいですもん。
父の危篤とはいえ、そう簡単には家を継ごうなんて思わないだろうし。

「愛の歌」を美しく歌える女性を花嫁に迎える・・・
この家訓、ブリュアンは知っていたのかなぁ?
家訓は貴族の家ならあって当り前かもしれませんが、
何故に「愛の歌」が美しく歌えなければいけないのか?ってのが、
この作品のキーポイントになるのかなぁ。
もちろん、ブリュアンの母親も美しく歌える人物だったはずで、
ブリュアンの歌手としての才能は母親譲りかも・・・
歌とホルベルグ伯爵家の繋がりっていうのも、何か重要な
手掛かりなのではないかと思うのですが、どうなんだ?
それともデンマーク貴族にとっては普通の家訓・・・なワケないか。
そういえばブリュアンって伯爵と名前が違うけど、それって
身元を隠す為の偽名なのかしら?歌手としての名前と貴族としての
名前があるってことなのでしょうか?
ブリュアンっていう姓は母親の昔の姓かも?
う〜ん、ホント、さっぱり分かりません(ーーゞ

さらに分からないのは、アデルは貧乏学生なのにどうやって
芸術家への経済援助をしているのか?ってこと。
なんか、ヤバイ仕事でもしてるのかっ?!て勘ぐってしまう・・・
実は彼女もどっかの貴族出身だったり・・・は、しないですよね。
没落貴族で一人生きるには充分な財産を持っているのに、
芸術家への思い入れがある為に自分の生活を質素にしてでも
経済的手助けをしたい・・・なんて設定はあり得ないか(苦笑)。
「足ながおじさん」をするには、それなりの収入は必要なんだけど、
アデルはどうやってそれをやっているのか?
やっぱり商売とか財産とかがないとムリですよねぇ。
オペラ歌手志望ってことだから、歌で稼いでいるのかな?
でも、そんな収入は大した額にはなりませんよね。
一体、何をして稼いでいるんだアデル〜っ?!

あまりに、いつもと違った謎がいっぱいある作品だと思う・・・
これ、ちゃんと起承転結になってるの?!と不安が拭えない。
なんで1914年なの?「ベル・エポック」=古き良き時代って
云えば聞こえはイイケド、結局は何が表現したいのかって、
その辺をちゃんと描いて欲しいですよねぇ。
不思議な家訓は面白くてミステリアス、これは楽しみな部分です。
そのミステリアスな家訓が、舞台でどう活きてくるのか・・・
これがポイントの一つになるのは間違いないと思います。
家訓は、その家の先祖が関係しているものなので、
作品の過去も出てくるのではないかと・・・
家と先祖と家訓とブリュアンの繋がり方や関係がしっかり
描かれていると分かり易くなるかもしれませんね。

其の四ではシャガール、ユトリロ、ローランサンについて
書けたらいいなぁと思ってます(^^)


― 其の四 ―
さてさて、謎が多い『1914』・・・
考えてもラチあかない状態なんで、実在芸術家に
ついてお話ししましょう。

− マルク・シャガール = 立樹 遥 −
シャガールは1887年、帝政ロシアの地方都市近郊で生まれ、
9人兄弟という大家族の中で育ちました。
19歳の頃から帝室美術奨励学校と他の美術学校で
それぞれ2年間ずつ学びます。
その間、後に彼の妻となる宝石商の娘ベラと出会ったそうです。
シャガールの才能を見抜いたある弁護士が学資援助を申し出、
1910年頃、彼はパリへ向う事になりました。
モンパルナスの街にある「ラ・リュシュ」と呼ばれる、
アトリエがいくつも集まった建物で生活を始めます。
そこには多くの詩人や哲学者も訪れたそうです。
その中にモディリアーニやスーチンの姿も。

「ラ・リュシュ」とは蜂の巣という意味。

シャガールはラ・リュシュでの生活で多くの刺激を受け、
1914年にはアポリネールの紹介でベルリンの画商と知り合い、
ベルリンで初個展を開いたそうです。

個展の後、シャガールは帰郷、そのまま滞在して、
翌年にはベラとついに結婚。以後、彼女はシャガールに
多くの創作のインスピレーションを与えていきます。
個展後に帰郷した時に第1次世界大戦勃発を知り、
パリとベルリンに残してきた作品の大半を失ってしまいます。
3年ほど後、革命後の芸術運動に参加しますが失敗し、
生活の困窮も重なって故郷と訣別。
ベルリンを経て再びパリへ戻りました。
シャガールの芸術は次第にパリで認められるようになり、
活動の場を広げる事に成功します。

芸術劇場の装飾を制作したり、版画技法を学んで
「寓話」や「聖書」などの挿画の版画も制作しました。
もちろん個展や回顧展も行いました。
1941年、ニューヨーク近代美術館から招かれたのを機に
アメリカへ移住し、更に活躍の場を広げていきました。
ところがその3年後に最愛の妻ベラが亡くなり、
シャガールは失意の底に落ち、何ヶ月も制作ができませんでした。
翌年、べラの死後、初めて制作を再開。
メトロポリタン歌劇場で上演されるバレエ「火の鳥」の
デザインを手がけたそうです。
その後は翌年からニューヨーク近代美術館で回顧展を、
その後シカゴでも開催。更に翌年にはパリ国立美術館を
はじめアムステルダム、ロンドンで展覧会を開催。
そして国籍を取得したフランスへ戻り、ヴァンスに落ち着きます。
ちょうどその頃、第2次大戦が終結しました。
それから2年、1952年にシャガールは再婚。
絵画だけでなく、陶芸や彫刻、教会のステンドグラスなどの
創作にも取組むようになったそうです。

1985年3月、シャガールはヴァンスの自宅で
97年という生涯に幕を降ろしました・・・

19年前まで、シャガールは存命だったのですねぇ・・・
今までのアポリネールやモディリアニと比べると、
そんなに波瀾万丈っていう印象はないですね(苦笑)。
時代は同じなので、それだけでも激動な人生では
あると思うんですけど・・・
最愛の女性を亡くされてしまうのはお気の毒ですね。
お芝居ではまだ結婚前の二人が描かれると思うのですが、
その頃が幸せに描かれていればいるほど、
早くに亡くなってしまうんだなぁっていう事実が
悲しく感じてしまいますよね。
べラの存在はシャガール作品に無くてはならない
大切なものということで、どれほど魅力的な女性だったか。
芸術家の妻ってスゴイなぁ〜って感心です(^^ゞ
アポリネールも恋人ローランサンの存在が
作品に大きく影響しているそうですし・・・
後の世まで語り継がれるほどの名作を生む芸術家に、
その作品誕生のきっかけを与える存在。
とても純粋で自然な女性なんだろうなぁと想像します。
でも、個人的にはシャガールの絵の良さは分からない・・・
だって顔なんか継ぎはぎだらけでパズルみたいなんだもん。
もちろん普通の人物画だってあるだろうけど・・・



− モーリス・ユトリロ = 真飛 聖 −
1883年、私生児としてユトリロは生まれました。
父親はモンマルトルの文筆家という説も・・・
母親はお針子やサーカスの芸人を経て、ルノワールや
ロートレックの絵画のモデルになり、後に画家となったヴァラドン。
彼女は息子をかえりみず外での生活を楽しみます。
もちろん家には不在・・・そんな生活から、母親の愛情に
飢えていたであろうユトリロは飲酒に溺れ学校を退学。
飲酒癖の治療の為に精神病院へ・・・
何にも関心がない彼に、何か興味を持たせるべきだ・・・
医師の言葉から、治療の一環として絵画を始めたそうです。
彼はほとんど独学で学び、パリなどの街角を多く描いています。
1909年頃、サロンに初出品。翌年には、ある画商と専属契約を結ぶ。
ユトリロの作品には区切りが4つあり、1912〜14年が白の時代と
呼ばれていて最も高く評価されている頃だそうです。
確かに街路や教会の絵に使われている色が白中心なんですが、
ただの白ではないんですね。冷たいような、歴史を感じるような、
そんな印象がu-tsuにはありました。

初めて個展を開いたのは1913年だそうです。
その3年後、アルコール中毒解毒治療の為、入退院を繰り返します。
その間にも個展は開かれました。
1922年には画商ポール・ギョームのもとで個展を。
これ以後、写真や絵葉書をもとに制作することが中心になります。

写生時代、印象派時代、白の時代、色彩の時代・・・
絵画を通して4つの時代を築いたユトリロは、
療養が上手くいかず、1955年に71年の生涯を終えました。

ユトリロはとても孤独な芸術家だったのですね。
母親のいない生活で愛情に飢え神経質になり、寂しさを
紛らわすためにかんしゃくを起こす・・・
年齢を重ねるにつれ、それをアルコールによって紛らわすように。
更には精神科への入退院・・・
でもアルコール依存症は治らなかった。
幼少期から絵筆を取るまでのユトリロがどれだけ孤独だったのか。
それは街角の風景画から見て取れるような気がします。
暖色系の色が使われていないせいもあるかもしれませんが、
どこか寂しげで冷たい印象があります。
どんなに興味をもつ事柄があっても、孤独感っていうのは
簡単に消えないと思うし、ユトリロがずっとそれを抱いたまま
生きていたかもしれない・・・そう思うと、彼の絵を見る度に
孤独から生まれた作品なんだな、というのを感じるのかも。
でもユトリロの風景画は、個人的に好きだなって思う・・・
余談ですが、「雪のラパン・アジル」という作品があります。
また、「コルシカ島の教会」という絵も。コルシカ島って
『大海賊』に出てきた島ですよねぇ?なんか嬉しかった(^^ゞ

余談ついでに。ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンは
私生児として生まれ、母親と共にモンマルトルへ移り住みました。
生活の為に針仕事やサーカスの曲芸師を経て、モデルへ。
多くの芸術家と恋をし、画家としての才能も開花させます。
彼女は若くして子供を生みますが、母親に預け、芸術家との交際を
楽しみ恋をし続けました。治療の為に絵画を始めたユトリロは、
親友のユッテルと絵を描きに出かける事が唯一つの気休め
でしたが、何年か後に、ヴァラドンは息子の親友を愛人にし、
更にその親友はユトリロの継父となりました。

なんか、すごい母親だなぁって感じますよね。
息子が可愛くないというワケではないと思うんですけど、
あまりにも奔放というか勝手というか・・・
これではユトリロが孤独感に苛まれるのもムリはありません。
何かにすがりたいという気持ちもわくでしょうねぇ・・・
でもそんな感情が出ている絵が評価される芸術の世界って、
なんか皮肉な感じがしないでもない。


− マリー・ローランサン = 叶 千佳 −
1883年、パリに生まれる。彼女もまた私生児。
父親は議員らしい・・・
学生時代にデッサンを習い始めたローランサンは、19歳の時に
磁器絵付けの講習を受け、次第に画家の道に進む意志を持つように。
画塾アカデミー・アンベールに入り、ここでジョルジュ・ブラック
と出会います。1906年、ブラックの紹介でモンマルトルのアトリエ
バトー=ラヴォワール(洗濯船)に参加し、ピカソやルソーなど
画家たちや詩人たちと交流を持つようになりました。
翌年、ピカソの紹介でアポリネールと出会い、恋に落ちます。
また、同年には初のサロン出展を果たします。
アポリネールとの関係は5年ほどで終わり、その年に展覧会を開催。
ローランサンの母親が亡くなった翌年、1914年にドイツ人男爵
ヴェッチェンと結婚し、新婚旅行中に世界大戦始まる。
その旅行先であるスペインでそのまま亡命。
2年後にバルセロナへ転居。
1922年にはアルコール中毒となった夫と離婚。
不安と苦渋に満ちた亡命生活にピリオドを打ちます。
彼女はパリへ戻りました。彼女の画風は上流階級に受けて
肖像画の注文が相次いだということです。
その後も本の挿絵を提供、舞台美術、室内装飾も手がけ、
彼女の芸術の道は続いてゆきます。

1956年、心臓発作の為、73歳で死去しました。
ローランサンの生涯に多大な影響を与えたアポリネールからの
手紙一通と、白いドレスに赤いバラを一輪手にした姿で、
マリー・ローランサンは埋葬されたそうです。

ローランサンといえば、恋多き女性というイメージですが、
アポリネールの存在が一番大きかったようですね。
棺にアポリネールからの手紙を、というのは彼女の遺言だった
らしく、別れはしたけれども恋愛感情の底には、いつも
アポリネールの存在が無意識にあったのかなぁと。
大切なことって、ハッキリと見えることとそうでない事が
あって、ローランサンは見えない絆みたいなものを
アポリネールに感じていたのかもしれないなって思いました。
でもアポリネールは訣別後にえらい落ち込んだ日々を送る事に
なりましたが(苦笑)。作品にはそういう感情も反映されていて、
またそれが評価されるという・・・
ある意味ウソのない感情が表現されている作品だから、
見る者に対して影響を与えるのでしょうけど。
離婚後、パリに戻ってからの作品は色彩がとても明るくそれでいて
柔らかい、というように変化しているそうです。
確かに、女性らしいというか柔らかい雰囲気な作品が多いですよね。
可愛らしいなぁと感じる肖像画もたくさんあって、
微笑ましく感じるu-tsuです。
長野県にローランサン美術館があるのですが、隣接するショップでは
カップやポット、絵皿、小物入れ、ストラップなどが購入できます。
すごくデザインがシンプルで可愛いくて、機会があれば何か
手に入れたいなぁと思ったりしてます。

さて、1914年の部分だけで見てみると、シャガールはベルリンで
初個展。ユトリロは「白の時代」という芸術家人生で最も高い評価
を受けている頃。ローランサンはドイツ人男爵と結婚、亡命。
こんな中途半端な出来事をどのように絡めていくのか?
史実に基づいて進むのか、またはオリジナルで進めていくのか?
これだけ波瀾な人生を歩んだ芸術家たちが何人も登場して、
どうラストを迎えるのか・・・?
なんとも難しいような気がしてならないu-tsuです(ーー;
でも完結するのはブリュアンとアデルだけなのでしょうね。
他の芸術家たちには、こうして歴史があるワケですし。

ま、お稽古中の現在となっては腹をくくって待つばかり・・・




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