欧州を舞台に、魂のシャンソン歌手アリステェテッド・ブリュアンと、
謎の伯爵婦人アデルの愛の行方を中心に、ベル・エポックを
謳歌した芸術家たちの青春群像を描く―1914/愛 ―

公演を観劇前に、ちょっとだけ作品の時代背景や
登場人物を探ってしまおう〜(^0^)
ということで、また公演について雑談します・・・



― 其の五 ―

歌劇の2月号で作品の内容が掲載されております。
公演発表当初とは、若干、異なる部分がありますねぇ。
ブリュアンは「ラパン・アジル」ではなく、「ル・ミルリトン」
という酒場の経営者に変わっています。
アポリネールやローランサンなど、主要人が集まるのもココらしい。
もちろん、「ラパン・アジル」も出てくるようで、万里 柚美さんが
そこの女主人なんだそうな・・・
でもって、ブリュアンの実家はホルベルグではなくフルーレ伯爵。
配役発表ではすでにフルーレ伯爵でしたが、あらすじの方にばかり
気を取られてホルベルグって誰が演じるんだ?くらいにしか
考えておりませんでした(ーーゞ。そうよねぇ、立 ともみさん
だもんねぇ。特出なんだから重要な役って事で早く気付くよね普通。

で、疑問だったアデルの経済的援助の内容・・・
それは支援者の斡旋らしい。正直、そっち方向は考えていません
でしたねぇu-tsuってば。経済的って云ったら絶対、金銭という
想像をしますよね?!どうやって援助するほどの金額を稼いで
いるのかと不思議だったんですけど、仲介役とはねぇ・・・
アデルは遺産を継いで、その遺産で援助しているのかなぁなんて
思ったりしていたu-tsuです(苦笑)。歌手志望の自分と同じく
芸術家の卵という人達を手助けしたいという気持ちから、
自分の生活を犠牲にしても経済的援助を・・・なんて考える
女性なのかなぁと想像しちゃったりねぇ。
お金持ち、身分ある人間を紹介する仲介人かぁ。
でも、貧乏学生のアデルがそういう人と知合って支援を求める
っていうのも結構、大変なんじゃないのかなぁ?
伯爵夫人と偽ってはいるけど、それがウソに見えないような
貴族の風格っていうのも必要でしょうし・・・
アデルは度胸も器量も良い娘さんってことになるのでしょうか?

ブリュアンとアデルの出会いは、「ル・ミルリトン」。
ちょっとした揉め事の果て、アデルがとった行動に驚き、
その毅然とした強い美に心奪われる・・・・だってぇ。
その後、思わぬ場所で再会 ― 花嫁選考の場。
オペラのオーディションと思ってやってきたのに、
実は伯爵家の花嫁選びと知って傷ついてしまうアデル。
純粋に夢を追い求めていたアデルに惹かれ後を追うブリュアン。
こうして運命の悪戯が始まった・・・らしいんですけど、
どのヘンが運命の悪戯なんでしょう?(ーー;
この後に、実は・・・・・ええぇ〜〜っ?! 
みたいなドンデン返しでもあるんでしょうか(苦笑)?
うー、微妙なニュアンスですよねぇ、運命の悪戯って。
なんか、結ばれてはいけない二人が出会うっていう印象が
ないですか?例えば「ロミオとジュリエット」系な関係とか。
シリアスというかミステリーっぽく銘打っといて、
フタを開けたら普通の恋愛物とかだったら怒るぞぉ。
謎の伯爵夫人とか身分を偽った人気歌手ってこと自体が
すでに普通じゃないとは思うけどさ・・・
全く、どうなるんだよ?!
って更に気になる物語りですよねぇ。

さて、前回に書けなかった実在の芸術家について少し。

− ハイム・スーチン = 涼 紫央 −
1893年、現リトアニアの貧しい家庭に生まれたスーチン。
11人兄弟の10番目に生を受け、いつもお腹を減らしていた
彼の唯一の楽しみは絵を描くこと。
でもユダヤ教の戒律のせいで、スーチンは絵から引き離されて
しまいます。貧困の日々の中で、それでも絵画への情熱は
冷めることはありませんでした。
家を出たスーチンは美術学校を経て、1913年にパリへ。
スーチンもまた、「ラ・リュシュ」に住む芸術家の一人で、
一番狭くて一番汚い部屋に住んでいたそうな・・・
相変わらず貧しい生活に追われ、アルバイトに明け暮れます。
でも働くのは酒と絵の具を買う為・・・食事もろくにせず、
空腹をチューインガムで補っていたそうです。

この時代にガムなんてあったのか?!って初耳・・・
彼の友人はモディリアーニ。同じユダヤ系の異邦人として
交流を持ちました。モディリアーニはスーチンにナイフや
フォークなどの使い方を教え、また、自分の絵を買い取って
くれた画商ズボロスキーにスーチンを紹介。
その画商のはからいで、スーチンはモディリアーニと南仏へ
制作旅行に向いました。

この時、モディリアーニは普段は描かない風景画を描いたそうです。
明るい陽射しと華やかな風景はスーチンを刺激します。
ところが、この旅行からしばらくして、モディリアーニは
この世を去りました。たった一人の友人を失ったスーチンの絵は
渦を巻くように歪んでいったそうです。

確かに、彼の絵は微妙に歪んで見えて、色彩も暗いかも・・・
モディリアーニは死の床で、「君にスーチンという天才を
残してゆく」と画商に伝えたそうです。
ところがスーチンの絵は画廊の片隅で誇りを被っている状態。
そこへアメリカ人の有名コレクター、バーンズが訪れて
スーチンの絵を見て衝撃を受けます。
「スーチンの絵はゴッホの絵よりも重要だ」
この言葉で、スーチンは貧困の生活から脱出しました。
1923年、彼が30歳の頃の出来事です。

スーチンは会話が苦手な性質で、そのせいか描かれる絵の題材も
黙々と働く人々の姿が多かったとか。
バーンズに見出され富みを得た後も、彼はそういった人々の姿を
を描き続けます。ところが、描かれた絵はどこか奇妙な印象を受けます。
どういうワケか、モデルは普通の肖像画と同じように真っ直ぐ前を
見つめているんです。働く人を描いているにも関わらず、モデルは
じっとこちらを見つめている・・・ちょっと不思議な感じです。
スーチンは奇妙なモチーフにこだわり続けた画家として有名で、
死んだ動物を描き続けてもいたそうです(ーー;。
「これらは『パリ』という街の残忍さを描いたのだ」とスーチン。
アトリエに持ち込んだ肉の塊が腐っていくと、新たに肉屋から買って
きた動物の血をその上から注いでいました・・・
こういった絵を描くには彼なりの理由があって、子供の頃の体験が
原因にもなっているようです。
また、絵を禁じられた故郷を捨ててパリに来た名も無い貧しい青年は、
思いがけない富と名声を手に入れた後も、つぶやきます。
「俺はいつか、自分の絵を全て破り捨てるだろう」

第2次大戦中、ユダヤ人迫害をの恐怖に怯えながらの生活。
アメリカからの招きに従わず、パリ郊外で身を隠していました。
そんな中でスーチンの絵は変わり、更に持病の胃潰瘍が悪化・・・
若い頃の極貧の生活で胃の状態はボロボロだったそうです。
手術を受けるも手遅れ・・・
1943年、50歳の生涯を閉じました。
亡骸はラ・リュシュの近くの墓地に葬られているそうです。


なんか、すごく強烈な人だなと、思いました(苦笑)。
動物とはいえ、あまり死骸なんて描く画家って見ませんよねぇ。
凡人じゃないからの発想なんだと思うけど、
どっかぶっ飛んでる人には変わりないでしょう・・・
u-tsuが見かけた絵はどれも暗い作品ばかりで、
不気味だなぁっていう感想なんですけど、すごく有名なスーチン。
なんでこんな絵が良いんだ?!って気がする(ーーゞ
ただの人のu-tsuには分からないことです、ハイ。
それにしても、このスーチンって、舞台でもこんな奇妙な
人になるんだろーか・・・?
なんかねぇ、写真見てもどっかアブナイ雰囲気がする男性なの。
芸術的な印象はなかったし。会話が苦手で奇妙なモチーフに拘る
っていう持ち味だけで、かなり面白い役にはなりそうですけどねぇ。
演じる涼さんの雰囲気からは、ちょっと想像し難いような気も
しますが、逆にそのギャップが活かされて嵌るかもしれないかなぁ。


− ポール・ギョーム = 汐美真帆 −
1891年に誕生、1934年に没した、画商で美術評論家。
画廊経営のかたわら、自分自身のコレクションとしてかなりの
数の作品を購入していたそうで、そのアパルトマンに飾られた
作品を見るために、世界中の美術愛好家が彼のもとを訪れたそう。
ギョームは美術館の設立も計画しましたが、思い半ばで
その生涯を閉じることとなりました。
でも彼の妻ジュリエットが再び着手、ギョームの夢を実現させました。
彼の作品を見極める確かな眼は、世界でも高く評価されているそうです。

20世紀初頭のパリの若い芸術家たちちのよき理解者であり、
支援者だったポール・ギョーム。
1915年、モディリアーニの絵を買い上げ、アトリエも貸し与え
ますが性格的に合わず、ギョームは彼から手を引いたそうです。
1922年には、ユトリロがギョームの画廊で個展を開いています。
その他、ローランサン、ピカソ、モネ、ルソーなど、
多くの現有名画家をコレクションしていたということです。


あまり詳しい人物像は分かりませんが、結構、社交的な方だった
ようです。若い芸術家から慕われているようなので、
懐が大きい人物かもしれませんよね。
汐美さんが演じるということで、なんとなくイメージかなぁと。
理解ある支援者・・・登場する芸術家とは全て認識があるかな。
作品を買い上げたりっていう繋がりはあるでしょうねぇ。
この人が、どうブリュアンと絡んでいくのか・・・
その辺はあまりよく分かりませんが。

ちょっとずつ内容が出てきましたが、今のところは
ただ漠然と、ふ〜ん・・・って感じなu-tsuです(苦笑)。
ドンデン返しがあるのか無いのかも気になるなぁ。
流石に肝心な部分は掲載されていないから、
どうしても気が気じゃないっていうか・・・
でも、こうやって作品に関して考えているうちに、
初日が始まっちゃうんだよねぇ。
早く初日の模様が知りたい(ーーゞ




― 其の六 ―

初日開けての感想を頂き、頭の中は疑問符だらけ・・・
シリアスじゃなくてコメディなのかっ?!
ものすごくビックリ仰天でございます(ーー;
お披露目が重い題材だっただけに、またシリアスだったら
ちょっとイヤかも・・・とか考えていたu-tsuですが、
内容が徐々に明かされていくに連れて、
なんでこんな話しにしちゃったんだよ、先生っ。
と、またしてもショックを隠せません(苦笑)。
勝手といえばものすごく勝手なのですが、あまり意味のない
コメディって好きじゃないんですよねぇ・・・
ブリュアンもアデルもコミカルな設定と聞いたのですが、
お話上、それしか方法がないのであれば仕方ないけれど、
ただ面白可笑しくしたいだけってことでコメディタッチに
したのであれば、u-tsu的にはあまり歓迎はできないなぁと・・・
もちろん楽しいお話は大好きですしコメディも大好きです。
ただそれが、きちんと芯がある上で成り立っているのが前提で。

ブリュアンもアデルもお互いに身分を隠してはいますが、
仮面で顔を隠すわけでもないのに気付かないなんて・・・ヘンだっ。
あまりにもウソ臭い設定には限度があると思うんだけどな(苦笑)。
世間知らずな者同士の恋愛とは違うはずだから、
早くにお互いの素性は分かってもイイんじゃないかと感じますが?
ま、二人がおっちょこちょいで早とちりが得意っていうのなら
話しはベツものだけど・・・そんな感じではなさそうですし。

ブリュアンはべらんめぇ口調で毒舌を吐くそうですが、
その辺はとっても興味大ですね(^^)。
御曹司ではあるけれど、頼れるアニキ〜っていうキャラの
わたるくんは久々なので。
このあたり、u-tsuの好きなわたるくんの根底が観れると
期待しておりますが・・・大丈夫かな?

お話が想像していた印象と全然違ったのを知って浮かんだ疑問。
アポリネールやローランサン、モディアニ、ユトリロ・・・
などの芸術家たちは一体どのような立場にあるのか?ということ。
ただ、アデルが支援者を紹介するというだけで、特に必要不可欠な
役割はないのでしょうか?このあたり、ものすごく気になります。
これだけ有名人を登場させておいて物語と関係ありません、
なんてことではちょっと困りますので(苦笑)。
特出の意味も踏まえた上で、どのような効果があって
どのような役割になっているのか、というのが心配。
でもって、90周年記念だから1914年・・・これは良しとしましょう。
お話の舞台となっている国や地域、人物を選んだ理由・・・
これは果たして正解だったのかどうか?っていうのも気掛かり。
そんなものはu-tsuが気に掛けることでもないんですが(苦笑)、
やっぱり90周年て銘打ってる以上はイイカゲンに作ってほしくないし。
ましてや好きな人が出ている舞台なら尚更ですもん。

とは云うものの、部分的には良いところももちろん盛り込まれて
いるということなので、全体のバランスにムリな印象がなければ
それはそれで良いとは思います。完成度100%の作品を求める
なんてのはムリだし、観終わった後に気分爽快で楽しかった、
観て良かったと感じることができればとりあえずはイイんだし。
ってわりには文句がとっても多いu-tsuですがねぇ(ーーゞ

お、忘れちゃいけない、ミステリアスな家訓・・・
これが作品内容を推理する勘違いの原因なんではないかと
u-tsuは思いましたよ。
内容を聞いて、それだけか?!と・・・
絶対、これが物語りのキーポイントになってるんだろうなぁと、
ヘンに期待していただけに落胆しちゃったんですよぉ。
映画の観すぎっちゃ観すぎかもしれませんが、
そんな映画っぽい作品もわたるくんで観たいなぁっていう願望が
強かったからねぇ(苦笑)。もうショックだっ。

ま、これから徐々に役者もキャラもエンジンかかって
活き活きと活躍されてくるはずで、そうしたら物語りもとても
スムーズに感じるのかもしれないですよね。
日増しに良くなる舞台を観て変っていくファンの方の感想を
楽しみにしております(^ー^)/
まだまだ、これからですっ。




― 其の七 ―

スタ小部で初日ダイジェストとトークを見て、
ちょっとだけ、気が楽になってきました(苦笑)。
頂いた感想とu-tsuが想像している舞台の模様が一致しなくて、
すごくマイナスな感情に襲われておりましたので・・・

お芝居での格好が微妙でじゃないですか(苦笑)?
赤いマフラー(?スカーフ?)がアクセントになっていて
肖像画のブリュアンを彷彿とさせていますが・・・
センスが良いとはいえないような格好で、でも時代背景や
「1914」でのブリュアンはたぶんそんなことには
あまり関心がないのかなぁと思ったりするu-tsuです。

いきなりの長台詞ということで、ブリュアンは説教というか
店に集まる連中に演説的な語りをするのが好きだったのかなぁ?
なんて思ったのですが。最近は見かけませんが、熱血漢な教師とか
上司とか、どんなことでも語りたがる人っているじゃないですか?
ブリュアンもそんな感じの人物なのかなぁと・・・
そういう人種にも、単にウンチクを披露して語りたい人と、
人間が好きだから語りたいという人がいると思うんですね。
で、ブリュアンは人間が好きな人で、癒しを求める人や落込んでいる
人などに対して、エールの代わりに毒舌で語り勇気づける人では
ないかなと・・・店に集まる多くの客の中には、なかなか売れない
芸術家たちがいたり、華やかな印象のパリの裏側には、やはり
恵まれない人々もいたはずで、そんな心に癒しを無意識に求める
人たちに対して、毒舌でもって癒しを与える。
もちろん、ただの毒舌で終るのではなく、きちんと芯が通っている
からこそ多くの人々の心に響くのだろうし、そんな彼の歌だからこそ
心の穴を埋められるのだろうと・・・

でも、意外と面白いブリュアンってことで、その辺のギャップが
まだあまり理解できておりません(ーー;
店でのブリュアンが本来のブリュアンなのだろう・・・とは
思っているのですが、実際のところはどうなんだろうか?
貴族のしきたりや在り方に嫌気がさして、家を出たであろうブリュアン。
でも彼の中には間違いなく貴族の血が流れていて、
どんなに家から離れたとしても絶ち切ることができず、
常に束縛されている・・・歴史ある家柄っていうのはそうして
繁栄するものだし続いていくもの。例え個人の心を犠牲にしても。
それはブリュアンも承知しているから父親が病気と聞いて、
自分を呼び寄せる為のウソと分かっていても家に戻る・・・
本当に家を嫌い、ウソと分かっているなら帰る必要はないし
帰ろうともしないと思うんです。
それでも、半ばイヤイヤでも帰ったブリュアンは、自分の生まれを
理解しているし自分に課せられた役割も理解しているはず。
もちろん全てにおいて従う気はないと思いますが、
少しは現在のままではいけないという気持ちはあるのではないかと。
だから、毒舌でもって多くの人々を勇気づけている行為は、
ブリュアン本人をも勇気づけているのではないのかなぁと、
ちょっと思ったりしているこの頃です・・・
自分で言ったことに対して反応が返ってくることによって、
自分自身にも自身が持てたり癒されたりしているのかもしれません。
舞台は観ていないu-tsuですが、初日映像と頂いた感想をから受けた
ブリュアンのイメージから、そんな考えがでてきました。
実際に舞台を観たら、きっと感じることも違うと思うけど・・・

ブリュアンとアデルが恋に落ちる過程・・・
オーディションと思い込んでやってきたアデルは、
伯爵家の花嫁選びの場と知って怒りとショックに打ちのめされる。
人の夢見る心を弄ぶとは酷い、というアデルに対して貴族の姿をした
ブリュアンは非礼を詫びる・・・そこから恋が始まる。
単純だけど解りやすいシチュエーションということで、
その辺は昔ながらの宝塚的ロマンスという印象ですね、良くも悪くも。

伯爵として存在している時には少なからず貴族の皮を被り紳士的に
振舞っていたと思われるブリュアン・・・たぶん、ね。
それは結果として、歌手を夢見ながら現実世界で苦労している
アデルにとって、貴族である彼が素直に非礼を詫びる行為は
意外でもあっただろうし、眩しく感じて惹かれるにはそれだけで
充分な出来事だったのではないかなぁと。
しかもブリュアンが告げた「夢は見続けてこそ夢〜」という言葉。
これはある意味、夢だけを生きがいにしてきたアデルの心に
ズシリと重く、でも温かく響いたのでしょうねぇ。
「愛し続けてこそ愛〜」という言葉も流れていましたが、
それはブリュアン自身もそういう信念みたいなものに
救われている部分が多いからで、そんな彼の言葉だから
聴くものの心に染み入っていくのだろうし、多くの人々の
支持を得る結果になっているのではないかなぁと・・・


あまりにも、思い浮かんだ印象を述べすぎて、
ワケが分からなくなってきた(ーーゞ
とりあえず、映像を見てこんなような感想になりました。
まだまだ疑問や思った事があるので、文章にできるように
考えがまとまったら、現れます・・・






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