欧州を舞台に、魂のシャンソン歌手アリステェテッド・ブリュアンと、
謎の伯爵婦人アデルの愛の行方を中心に、ベル・エポックを
謳歌した芸術家たちの青春群像を描く―1914/愛 ―

公演を観劇前に、ちょっとだけ作品の時代背景や
登場人物を探ってしまおう〜(^0^)
ということで、また公演について雑談します・・・



― 其の八 ―

最近、初日映像を見てばかりの日々でした。
不思議なもので何度も見ていると、ちょっと否定的だった作品
なのに愛着がわいてきたなぁと(苦笑)。
さらに、ル・サンクに載っている脚本を読んでみて、
やっと全体を見渡せるようになって、疑問や不安が結構消えた感じ。
こういうお話だったのかぁ・・・と、内容が判りましたし。

物語り自体は濃い内容のものではないんだけど、テーマがあって
それが比較的解り易く描かれているかなと感じました。
人間、誰しも一度は抱くはずの感情を、コメディとシリアスの
両面で表現していて、その対極性が上手く出ているように思えます。
あくまでも脚本を読んでの印象ですが・・・

有名な芸術家が多数登場するというので、ブリュアンとの絡みが
結構楽しみだったのに意外としっかりした絡みはなく、
その辺は勿体無いなぁと感じますねぇ。
ま、あの通り、「ル・ミルリトン」のブリュアンは俺様な人柄
なので、真剣に何かを語合うことなくても、お互いの気持ちは
解り合えるという人物なのでしょうけれど・・・
アポリネールはじめ芸術家たちにしても、ブリュアンの気持ちは
言葉がなくても通じ合えているんだろうし。
それというのも、生き方の違いはあれど同じ芸術家という道を
歩んでいるからだろうし、心の根底には同じ感情が常にある・・・
外見は全然ちがうのに、持っているものや感覚が同じというか。
常にくっついているワケでもなく離れているワケでもない。
ブリュアンと芸術家たちの程よい距離感がイイなぁと感じます。
もちろん、しっかりとした絡みもあったらイイと思いますが、
言葉がなくても人は繋がっていられるんだという、目に見えない
仲間だけが感じることができる絆みないなものがあるんだろうと。
芸術家仲間同士でも、ただ励まし合っているという関係ではなく、
自分の未来をしっかりと見つめていて独立できているという
印象があって、その上で独特な絆があるように感じますね。

残念なのは、それぞれの過程が描かれていないこと・・・
何故マリーが孤独を恐れるのか?ユトリロは酒に溺れるのか?
数行の説明台詞だけで片付けてしまうのはちょっと解り難い。
全部の過程を見せるのはムリだけど、せっかく登場させた
異才の芸術家たちなのに勿体無い。
どうせならマリーとアポリネールの関係を、ブリュアンとアデル
との対極に置くように構成したらよかったのに・・・と。
主な芸術家全員の見せ場を作れっていうのは大変ですが、
脚本を読んだ限りでは見せ場もなく中途半端な印象が強い。
ユトリロなんて飲んだくれの印象しか残っていませんよ(苦笑)。
モディリアーニと二人、酒だ酒だと云って騒いでいる・・・
確かに二人は酒に溺れた画家ですが、そんなところばかり強調
しないでほしいと思うのです・・・先生はユトリロや
モディリアーニをどんな風に描きたかったのか、イマイチ
伝わってこないような気がします。


ちょっと疑問が・・・
作品の題名は「1914」ですが、お話は1912年から始まっている?
でもって、いつのまにか第一次大戦が勃発、アポリネールが出兵。
台詞の一部に「1912年、アポリネールは不当逮捕された」と
ありますが、これは舞台上でも1912年と云っているのでしょうか?
それともル・サンクに載っている脚本の印刷ミスか?
ものすごい、気になる台詞なんですが・・・
でも、アポリネールとマリーが訣別したのは1912年、物語りでは
不当逮捕から釈放後に訣別。ってことは印刷ミスじゃないのかな?
う〜ん、よく分からない(ーー;
しかもブリュアンとアデルはアポリネール不当逮捕から2年も
何してたのやら?っていう疑問が出てくるワケでして・・・・
まさか、2年も騙し合っていたワケじゃなかろうし(苦笑)。
どうみたって、このお話はせいぜい7日間くらいの内容でしょ。
不当逮捕の拘留が5日間だったんだもん。
なのに時間の経過がオカシイのは、ワザとなのでしょうか?
宝塚だから・・・といえばそれで終りですが、
それにしたって時間の感覚、無さ過ぎやしませんか?
小さなことかもしれないけど、やっぱりオカシイと思う。
このあたり、舞台ではどのようになっているのでしょうか・・・


芸術家たちの活躍がなさそうだと残念に思うu-tsuですが、
それでも、あくまでもブリュアンとアデルの物語りということに
納得できるようになってきたこの頃です(苦笑)。
なんたって未観劇状態なので、観劇された方とは受止め方が
違うんですよねぇ、当然のことながら。
脚本読んで、いわゆるコメディ部分がどうして必要なのかっていう
考えが変りましたねぇ。あれは必要というよりは必然なんだと。
そう思うようになりましたね。自然のことなのかなぁと考えられる
ようになりましたし、主演コンビが変則的な二役っていう
ことによって作品のテーマがハッキリとみえてくるのだろうと
いうことも、理解できるというか・・・
物語りの流れとしては悪くないと感じますし、
実在の人物が多数登場してのオリジナル作品にしては
想像以上に良いのではないかと・・・って偉そう? (^^ゞ

やっぱり、脚本を読むと読まないでは理解度が違うと
つくづく思うu-tsuです・・・




― 其の九 ―

初見感想以来なかなかこちらが進まなくて・・・
やっと時間がとれて顔を出せています(^^ゞ

両作品共に『こんなもん』的印象がいまだに強いのですが、
それは作品が嫌いというワケではなく、面白さや完成度の低さが
『なんでぇ〜こんなもん』っていうことで、趣味的には好きな部類(苦笑)
レポを読んだ方は嵌ってないのかしら?と思うかもしれませんが、
充分に嵌っておりますのでご安心を(^^;
 ←なにが安心だか?
DVDも購入したので復習予習を兼ねて何度か観ました。
劇場よりも家でリラックスして観る方が、より疑問がふつふつと
沸いてくるような感じがします(苦笑)。

でねぇ、最近の疑問は、なんでブリュアンは歌手になったのか?ってこと。
家を飛び出してまで歌手になりたかったようですが、ブリュアンのいう歌手とは
一体どんなジャンルの歌手なんだろうか?っていうのも気になる・・・
一応、本物のブリュアンはシャンソン歌手で役の設定もシャンソンなんだけど、
u-tsu的な印象ではブリュアンは歌手というよりやっぱり詩人に近いかな。
ホントは詩人っていうのとも違うんだけど、他に当てはまる言葉が浮かばない
ので、とりあえずは詩人ってことにしとこうっていう感じで・・・
何の為に歌手になりたかったのかなぁって、DVD観てて、ふと思った次第です。

それとね、ブリュアンは人に『夢は見続けてこそ夢』とかエラソーなんだけど、
本人の夢っていうのはあるのかなぁ?というのも気になります。
歌手になるのも夢だったと思うんですが、それ以外にブリュアンに繋がる
ような夢はなさそうに思えるのですが・・・?
夢とまではいかなくても、それに近い目標みたいなものはあっても良さそう
じゃないですか?やっぱり人に勇気や希望を与え続けることが夢なんでしょうか?
店に来る客に悪口雑言で楽しませて、食事もろくに取れない貧乏人に
余りものを振舞う・・・それだけがブリュアンのやりたいことなのか?
なんだか、ただのボランティアに思える感もあって、ちょっとイヤだわ(ーー;

『高貴な身分に生まれた者の義務』なんて台詞もありましたが、
ブリュアンのやってることもそんなに変らないかも?って気もするし。
別に実家から援助があるわけでもないんだけど、みんなはブリュアンの
身分を知らないワケですからねぇ・・・身分を知ったらどう思うか?って
いうのも気になりますし。ちゃんと目的がハッキリしていないと
誤解されてしまうかもしれない。
っていうu-tsuの心は荒んでる?
こんなこと云うu-tsuの気持ちが純粋じゃないのかもしれませんが、
もうちょっとブリュアンの進むべき道っていうか目的が出ていたら
イイなぁと思うんです。観劇中は流してしまうからイイケド、
後からブリュアンのことを考えた時に、ブリュアンって何がしたいの?
っていう疑問が浮かんでくるんですよねぇ。

アデルについても本当は何がしたいのか?っていうのが解らない。
オペラ歌手志望っていうのはイイけど、それを決定づけるような場面が
ないっていうのは演出のミスですよね。これじゃアデルが可哀想。
ただでさえドタバタで解り難いのに見せ場がないなんてねぇ。
人物設定にも納得いかない部分がありますし・・・
オーデションに何度も落ちて仕事もクビになってずいぶん苦労している
はずなのに、あのノーテンキともとれるキャラは一体何でしょう?
親友と共に苦楽を乗り越えているからの明るさなのかな?
明るいのは良いことです。人間、何事も前向きなことは偉いことです。
でも、舞台観てたら前向きで偉いなぁとかプラスな印象ではなく、
苦労のわりに世間知らずというか、何故に何度もオーディションに落ちる
のかっていうのを学習できていないんじゃ・・・?とも、取れる(苦笑)。
夢を追うのは良いことです、幾つになってもね。
でもね、少なくともu-tsuが初見で感じたアデルは子供すぎて現実が
見えていないという印象が強かったんです。
本当に一生懸命で一途なのか、それともただの・・・・・・
イヤ、書かないでおこう(ーーゞ

ま、u-tsuが云いたいのは『謎の伯爵夫人』としてのアデルは
不必要だ、ということで、こんな2役ではなくアデルの魅力が伝わる
見せ場を作って欲しかったということなんです。
ただでさえ作家の意図が解り難いのに、人物の夢や目的までも
ウヤムヤになっていては、伝わるものも伝わってこないでしょ?
初日の映像や脚本だけでは把握できなかった全体が見えた現在、
更に中途ハンパさが目立つなぁと改めて思いますし。
構成はイイと、個人的好みでは思います。
でも、どこを強調したいのかっていうのは正直、解らない・・・
ブリュアンの私生活、特に出身や状況を軸にコミカルさが前面に
出ている印象が強くて、時代背景の何を伝えたいのかっていうのは
そんなに重要じゃないのかな?って気がするのですが。

u-tsu的な希望としては、アデルにブリュアンの素性は知られて
欲しくなかったなと。御曹司への憧れは憧れのまま、夢に向って
ひたすら歩んでいくっていう設定のほうが良いような・・・
でもって、ラストも告白しにくるのではなくて歌手になる夢を果たすべく
新たな気持ちで出発するのを告げに来るっていう感じがイイかなと。
去って行く芸術家たちを店で待ちつづけるのがブリュアンの生き方なら、
夢に向って生きるアデルを待つことのほうが自然にも思えますし。
いずれ結ばれる設定なら、ムリにくっついて大団円じゃなくてもイイし。
炎の詩人アリスティド・ブリュアンには、故郷的存在であってほしい
という気持ちがあるので、アデルに対しても悪口雑言で送り出して
あげてほしいなぁと・・・ま、彼女にだけは炎の詩人らしからぬ
優しい言葉も交えつつって感じだと更にイイかと思うけど。

現在の大団円のラストは好きなんだけどオチがないまま幕なんで、
それがどうも解せないですねぇ。なんで歌で盛り上がって幕じゃないのか?
最初も肝心だけど最後も肝心なのになぁ・・・勿体無い。
映画なら字幕が入りながら終るからイイけど(苦笑)。
途中まで降りた幕を持ち上げてまでラストを引っ張ったのに、
『これだけっ?!』てフリーズしちゃうような演出は困ります・・・
たぶん先生は自覚していなと思いますけどねぇ。
何の疑いもなく、『これで良し!』とか思ってるんだろうなぁ(ーーゞ
死人は出ていないのに、どこか抹殺された気持ちになるのは何故?
谷マジックの成せるワザか・・・(苦笑)よく判んないけど。





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