ベルサイユのばら
−フェルゼンとマリー・アントワネット編−




マリーアントワネット生誕250周年記念公演・・・
つい4年程前に上演したばかりだというのに・・・
そんなことなら4年くらい我慢すりゃイイのに全くっ。
などとついついコボしてしまうが、それが本音さっ。
ホントに嬉しくないさ。でも星組公演だもん、観るさっ。
・・・ってワケで、とりあえず独りつぶやいてみる(−。−)



2006年初めの公演は「ベルばら」。あまりに有名だからつぶやくような
事柄はないんだけど、実在の人物ってことで漫画とは違った一面があるはずだから、
その辺をちょっと掘ってみようと思う・・・が、その前に、全ツについて不安が。
「ベルばら」という大作を持っていくのに2本立てって、大丈夫なんですかねぇ?
前例はあるそうですが、完結せずに途中で終わってしまうような状態になって
しまって観客はついていけるんだろーか?全ツが初観劇って人もいるだろうし、
「ベルばら」自体よく内容を知らないという人だって多少はいるかもしれない・・・
なのに1本立て上演が常の大作をショーとの2本立てってどーなの。
中途半端に終えて、結末知りたかったら本拠地へ来いっての?なんだかなぁ・・・
別にそんなつもりで2本立てにしたワケじゃないかもしれないけど、ちょっと
あんまりな感じがするんだよねぇ。まるで来年のための宣伝で全国行脚って感じ?
ショーにしたって轟さん不在の「ソウル・オブ〜」ってどうなっちゃうんだか?って。
もしかして韓国公演の為にそういう内容になったのか?海外公演に1本物大作じゃ
宝塚の本領発揮に繋がらないとか。ま、理由が何でもムチャしてるなって思っちゃう。


で、フェルセン伯爵についてですが、彼は政治家であり軍人でもあるそうな。
スウェーデン名門貴族フレデリック・アクセル・フォン・フェルセン侯爵の息子で、
国王グスタフ3世の寵臣でもありました。そして、フランス王妃アントワネットの
愛人でもあった・・・漫画版だと愛人ってよりは恋人同士という印象なんだけど、
アントワネットは結婚してるし、なにより女王様ですからねぇ。やっぱ愛人か。
でもそういう親密な関係を築いたのは、実はグスタフ3世の意図があったかららしい。
漫画を読んでると、仮面舞踏会で運命的な出逢いを果たした二人が、お互い一目惚れ
して道ならぬ恋に発展してしまう・・・って感じですよねぇ。出逢いは偶然かも
しれませんが、アントワネットとの関係は国益を考えたグスタフ3世がフェルゼンに
命じたそうな・・・でもって原作ではアントワネット1人を慕い続けて他の女性には
興味なさそうなフェルゼンも、実際には色んな女性と噂や関係があったそうで。
とはいえ結婚話は断り続け、ホントに愛情を持っていたのはアントワネット1人だった
らしいので、まぁ、アントワネットの名に傷をつけないよう他の女性と遊んで気を
紛らわしていたと考えれば・・・許せるか(^^)?もともと容姿端麗で長身な男性
ですから、ご婦人方のほうが放っておかないのでしょうけど。その辺は漫画の方でも
描かれていますし。でも舞台だとより露骨に騒がれて、大袈裟な芝居に引いてしまうが。

フェルゼンの行動はスウェーデンの国益に繋がりはしたものの、次第にアントワネット
への愛情が勝り、国策とは異なるようになってしまったそうな・・・フランス革命が
勃発後、フェルゼンは亡命を勧め、数少なくなった王党派と連絡をとり計画し手引きした。
漫画でも緊迫感ある内容で描かれていた「ヴァレンヌ事件」ってやつですね。
あの話は初めて読んだ時にドキドキしたもんです。結局は逃亡がバレてパリへ連行・・・
アントワネットの髪は恐怖によって真っ白になってしまうという・・・漫画ではちょっと
分り難かったんですが、あまりにも想像を絶する恐怖によって白髪になってしまうという
事実に、すごい衝撃を受けた覚えがあります。なんか怖いですよねぇ、そんな事実って。

で、フェルゼンは再度、国王一家亡命計画を持ちかけますが、ルイ16世はそれを拒否。
漫画ではその時に、アントワネットへフェルゼン家の紋章が彫ってある指輪を渡して
いますね。『未来永劫、わたくしの妻は あなたひとり』と。ここのお話、不覚にも
ちょっとジーンとしちゃいました(^^ゞ でも舞台では1度も組み込まれていないんで
すよねぇ・・・結構イイ場面なのに、勿体無いっ。アントワネットがシンプルな衣装・・・
ってか、あれは夜着っての?対するフェルゼンは黒髪のカツラで変装しててさ。
静かなんだけど情熱的な場面で、なかなか絵になるんじゃないかなぁって思うんだけど。
どーせなら新しい場面を取り入れて欲しいしなぁ。毎回手直しはしているようなんだけど、
その割りに結果出せてないよねぇ・・・って感じなんだよね(苦笑)。原作付の大作なんだ
からさ、使える場面は使おうよ。もちろん、何でも使えばイイってもんじゃないけど。
そろそろご婦人方の退屈な場面は抜きにして、【グランドロマン】って呼べる場面を
作って下さいよって思うんだが・・・どーなることやら〜(ーー;

国王夫妻亡き後のフェルゼンのその後はみなさまご存知の通り・・・
元帥にまで昇進したものの、民衆に対して不信感を抱くようになり、その振る舞いは暴君
のようだったとか。国民の彼に対する憎しみは増し、民衆の暴動で命を落としてしまう。
アントワネットを失ってから17年後の6月20日・・・『ヴァレンヌ事件』と同日の出来事。
同じ民衆の裁きでも王妃はギロチン、フェルゼンは暴動によっての死・・・
どっちがマシなのかは分らないが、少なくとも成仏できるような死に方とは思えない。
読んだ後も、なんとな〜く後味悪いっていうか・・・感動には程遠い終わりだった(苦笑)
舞台では『王妃さまぁ〜〜っ』って絶叫するフェルゼンで終わりになっているから、
フェルゼンは王妃の死を悲しみながら余生を過すのかと思ってしまうところがありますが、
実際は残酷な死に方で人生を終える・・・華やかな舞台からは想像できない事実ですね。


それにしても、不思議なのは何故「アントワネット生誕250周年記念」なのか・・・
フェルゼンだってアントワネットと同年に誕生したじゃん。なのにどーして
「フェルゼン生誕250周年記念」にならないのだろーか・・・愛人だからなのか?
−フェルゼンとマリー・アントワネット編−と銘打っているなら、
「フェルゼンとアントワネット生誕250周年記念」でもイイじゃないかっ・・・
なんで、なんで王妃さまだけ・・・いや、王妃だからなのか・・・?




製作発表、ありましたねぇ・・・特出のスケジュール、お忙しそうな感じだな。
色んな配役で観て見比べるってのも面白いが、短期間で次から次へと変わるって
のは観てて違和感に思うこともありそうだよね。前回のベルばらは、わたるくん
アンドレしか観てなかったから、u-tsu的にあの時はアンドレ=わたるくんって
いう配役で来上がっていたんですが・・・今回はどんな感想になるのやら?

公式の方にあらすじが出ていたので目を通して、会見でのコメントと合わせてみても
斬新というか新しい演出は期待できないなぁと・・・全ツでは時間の都合上フェルゼン
中心に話が進むのは仕方ないとして、本公演に関する演出がアントワネット作曲の
音楽を使用って説明しか載ってないなんてねぇ。やっぱり大して変更はないという方へ
想像がいってしまうんですが・・・どーなんだ?アントワネット結婚から話が始まる
とはありましたが、それって以前、日向さん時代の星版でもやってましたよねぇ・・・
14歳のアントワネットがステファンという人形を抱いて馬車に乗り、フランスへ輿入れ
するっていう・・・あの場面とは違う演出になるってことなんだろうか?それとも
同じ演出なんだろうか?なんたって植田さんだからニュアンスが微妙でさぁ(苦笑)。
あの時は、輿入れのアントワネットと入れ違いに32歳のアントワネットがセリ上がって
くるという演出で・・お話としては1788年の春、アンドレとオスカルが戦死する1年
ちょっと前から始まる感じですね。フェルゼンの登場はオスカルにスウェーデンに
帰国しろって言われる場面から。へぇーここからなんだぁ・・・分るような分り難い
ような?って感じ(苦笑)。原作を熟知してる人はいいけど、そうでない人にはねぇ。

宝塚のベルばらってさぁ、ツッコミ所満載なんだよねぇ・・・原作と違いすぎる部分が
多すぎて、なんじゃこりゃ?な印象が濃い。どうせならアンドレもオスカルもいらない
んじゃないかとさえ思うほど、余計な場面が目立つと思うんだが・・・?
もちろん、男装の麗人っていうところに、宝塚で上演する価値があるんだとは理解でき
るけど、それが逆に余計なんじゃないかと感じたりもするんですよねぇ。
そもそもアントワネットもフェルゼンも実在した人物なのに、何故この2人中心の物語が
できないのか?史実に基づいての作品を数多く上演してきたにも関わらず、このベルばら
に関してはオスカルとアンドレの登場重視が常となっている・・・ま、ベルばらって作品
自体がそういうものだから仕方ないんだろうけど。でもさ、フェルゼン編にしても
フェルゼンとアントワネット編にしても、1幕の見せ場ってオスカルとアンドレだよね。
今宵一夜とバスティーユ・・・これしか印象に残らないんだもん(苦笑)良くも悪くも。
2幕なんて王妃を救い出そうと奔走するフェルゼンと処刑を待つアントワネットでしょ?
暗いし地味だし、何より馬車を走らせるフェルゼンに笑っちゃうんだけど・・・(ーーゞ
フェルゼンはこの上なく真剣だし命がけなんだけど、舞台中央にスクリーン使用ってのは
どうかと思うんですよねぇ。風共の戦場脱出場面の馬車は可笑しくないのに、ベルばら
の場合は・・・申し訳ないけど笑える。もうね、こういう真剣な場を可笑しいと思える
演出はやめてほしいよ。王妃の台詞の言い回しも気になるし、オスカルの妙に女っぽい
喋り方もイヤだし・・・アントワネットを女王様と呼ぶのもやめてほしい。原作だって
陛下や王妃様なのに、なんで舞台だと女王様なのか?解せないのよね。あとね、アンドレ
とジェローデルが馴れ合うのも、なんか違うと思うんだよねぇ。あの顔と髪型が苦手で
あんまり好きなキャラではないんだけど(^^ゞ 原作の方がジェローデルらしいかなと。

ジェローデルといえば、スウェーデンにまで赴きフェルゼンに助けを求めてしまいますが、
あれはとっても違和感ありの演出で、納得いかないんですよねぇ。原作読んでても二人の
繋がりってほとんど描かれてないような?なんでわざわざ他国の一貴族に国王一家の救出
を頼めるのか、さっぱり分りませんが・・・しかも日向さん時代の星版ではジェローデル
と一緒にマロングラッセ婆ちゃんまでスウェーデン行っちゃったんですから(苦笑)。
なんだかムチャクチャじゃないかぁ?って感じ。収拾つかないっていうか、物語の進行に
必要ない人物を引っ張り出したり、余計な演出をしたりでちょっと混乱しちゃいます。
原作を知っているだけに、違う部分に気を取られちゃったりもするし・・・
ホント、色んな意味で面白い作品だなと改めて実感です。もちろん舞台版のことね(^^)


ただいま、平成初期のベルばらのパンフに載ってる脚本を読み比べている最中・・・
やっぱりツッコミ所が詰まっていて、面白いやら嫌気がさすやらって感じ。
もし星組で上演しなければ、こんなの読み比べることもしないんだろうなぁ(苦笑)





期待以上の不安をもって観劇した全ツ「ベルばら」・・・ツッコミどころ満載とはいえ、
1時間半でよくもあそこまで纏めたもんだ、とここへきてやっと思えるようになったこの頃。
それはやっぱりフェルゼン中心に構成した結果なんだろうね。史実に基づいたお話で、しかも漫画
が原作だから細々と描かれていなくても物語の流れはなんとなく伝わってくるんだと思う。
でも原作を知らないって人も少なくない昨今だけに、ちょっとマニア向けな印象はあったかも(苦笑)。
個人的には納得いかない部分があったものの、シンプルなこの全ツバージョンは決して嫌いじゃない。
満足してないけど、今までの「ベルばら」よりは好きかなぁ。うんざりしてた場や演出が削られて
簡潔に要点だけをもってきたことで新鮮な印象があったのは事実だから。ま、好みの問題ではあるけど。

でも本公演は「フェルゼンとマリー・アントワネット編」・・・ってことは今まで通り、あんな場面や
こんな場面も当然のように組み込まれてくるんでしょうか・・・イヤだなぁ(ーー;
一応「フェルゼンとアントワネット編」にはなってるけど、上演理由がアントワネット生誕250周年なだけに、
実はフェルゼンよりもアントワネット中心になるんじゃないか?とちょっと気になる(苦笑)
どうして「フェルゼン編」ではダメなんだろうか?フェルゼン編にしても、アントワネットの出番は多い
だろうしフェルゼンと同じようにお話の核になることは間違いないのにねぇ。やっぱりオスカル、アンドレの
重要度が変わってくるからなんだろうか?オスカルとアンドレはアントワネットとの繋がりの方が深い
というのはなんとなく分る気がするけど・・・アントワネットの存在が大きければそれだけオスカルたち
の出番も多くなるってことだろうし。んー、でもu-tsuとしては、ここらでホントの意味でのフェルゼンと
アントワネット編なんてのを上演するのも悪くないと思うんだけど・・・それはやっぱり論外なのか?

だけど「エリザベート」なんてミュージカルも作られたんだもん、いっそのことアントワネットの悲劇な
生涯を軸に新たにオリジナルとして作ったらいいんじゃないの?なんて半ば本気に思うようになってきた。
ま、そうなるとトート閣下と違ってフェルゼンの存在はインパクト薄い役になってしまうかもしれないけど、
今までの内容に手を加えただけの脚本で上演されるよりはいいような気がしないでもない・・・
でもかなりエリザ似になりそうだよね。ベルばらは宝塚の演目としては「これぞ!」ってシロモノなんだろう
けど、作り手と観客の観たい期待する脚本とに微妙なズレがあるんだよねぇ。しかもそのズレが上演の度に
大きくなっていくような気がしてさ。だからなんか作品自体の魅力も半減していくっていうか・・・
まずそこんとこを脚本家演出家が理解しててくれないと、何度上演しようと何度アレンジしようと作品の向上
なんてものはあり得ないよなぁって思う。この際だから、最初から練り直して組立てたほうがイイんじゃない?
ってことをよく考えるこの頃ですが・・・ま、作り手にはそんな気全っ然ないでしょうけど。

個人的には舞台やTVで観た「ベルばら」の中で受け入れやすいなと感じるのは花組の「フェルゼン編」。
もちろんスウェーデン国王が『恋を貫け〜!』なんて言う筈はないんだけど(苦笑)
その場面の立ち回りがカッコよく宝塚らしいのと、まぁ内容的に耐えられるってことで(^^ゞ
前回、星版の中でフェルゼンが馬車を駆りアントワネットを救出に向かう場面が可笑しくてイヤって書いて
あるんですけど、あれも決して嫌いではなく、スクリーンの映像が笑いを誘うってのが悲しくて・・・
あの場面のフェルゼンの歌は好きだし、アントワネットを絶対に助けるっていう気持ちと緊迫感が表現されてて
捨てがたいシーンなんですけどねぇ。スクリーン無くして違う演出してくれるなら、わたるくんにも激しく
馬車を駆ってほしいと思うし、ネッシーさんの星版でもイイかなって思う(^^)
あくまで基準は「フェルゼン編」で、その中で不要なものを削り必要なものや新しいアレンジを加える・・・
ってのがu-tsuの希望願望。更に言えば、オスカルとアンドレは不要。だってこの2人は無くても結末は変化
ないし歴史的にも影響ない。ただ「ベルばら」という作品には必要になるってだけで。
宝塚が「ベルばら」という作品に拘るならば、オスカルもアンドレもその一因ってことだから安易に外すことは
できないだろうけど。でも「フェルゼンとアントワネット編」と題するのなら、きちんと2人の深い想いを描いて
ほしいと強く思う。今までとは違う、題名に相応しい内容を見せてほしい・・・

そこで、u-tsuが今度の「ベルばら」にこれだけは〜と希望することをいくつかご紹介。

其の壱、プロローグはシンプルにお願いっ!2001年版のような大袈裟なセットは要りません(ーー;
あまりにドデカイ花カゴとか、過去の星版「フェル・トワ編」の大っきなキャラの肖像画とか、観る気持ちを
殺ぐような演出はお控え下さい〜って感じ(苦笑)どうせ衣装が華やかで派手なんだから、プロローグは
小公女小公子の歌のみで終わりにして欲しい・・・時間は大切に使いましょうよ、ね?

其の弐、物語はフェルゼンの回想録で進み、仮面舞踏会の出逢いから始まって!
プロローグの小公女たちの場面後、フェルゼンがステファンを抱いて花道セリから登場し、「愛の面影」を歌い
ながら銀橋へ・・・これは花版のプロローグとほぼ同じ。できるだけ本筋に時間を使ってほしいので、
視点はフェルゼン中心で進んでくれると助かる(苦笑)で、舞踏会では全ツよりもちょっと長めに踊って、
フェルゼンがアントワネットの仮面を外してしまう部分も追加して、2人の運命的な出逢いをハッキリと演出。

其の参、オスカルとアンドレの出番は、絶対に必要不可欠!って場面のみにしてクダサイm(_ _)m
「ベルばら」ってどんなバージョンを上演しても、絶対にオスカル・アンドレの使い方が大きいんだよね。
もちろん原作で絶大な人気キャラだし、作品名が「ベルばら」であるならば当然なことなのだろうが、副題で
「フェル・トワ編」とあるならば、やっぱりこの2人が中心でないとオカシイ。それも、誰が観てもそう思える
内容じゃないと。でなければ別に副題なんて不必要だし意味がない。作品の何をどう見せたいのか?
宝塚の「〜編」って付く公演は、その辺が明確になっていないことが多いと感じる。
個人的にはオスカル・アンドレの出ない「ベルばら」が観てみたい・・・もともと実在しないんだし、革命の
結末には何ら影響もない。バスティーユのためだけに必要だというのなら、名も無い大勢の一市民兵が踊れば
いいと思うんだけど、それじゃ「ベルばら」じゃないかな?役替りというイベントも、この作品ならではって
ところがあるし、何より宝塚的なキャラだから両名が出ない「ベルばら」は論外なんでしょうか?

其の四、ジェローデル登場には興味ないが、使うからには納得いく場面に出しませんか?
この人、「フェル・トワ編」に出る必要ってあるのかなぁ?なんか2幕でスウェーデンのフェルゼン邸に行って
王妃様救出を願い出るんだけど、それはないだろ〜って思う。なんで他国の人間を巻き込む?しかも王妃と不倫
してるって噂のフェルゼンだぞ?誰を巻き込んででも国王一家を逃亡させたいのかもしれないけど、ちょっと
行動が軽すぎないかと・・・いくら実際にフェルゼンが逃亡の手助けをしていたからといって、ジェローデルが
説得するのは変。フェルゼンのことだもん、誰に頼まれるまでもなく自分から進んで助ける手はずを整えてる
ような気がするんだよね。フェルゼンが王室派のジェローデルと連絡を取り合っていて、色々と指示したりして
いるっていうならまだ納得もいくけど・・・オスカルに求婚する場面もない「フェル・トワ編」に出る必要性は
ほとんど感じられない人物ですよねぇ。この役をどのバージョンでも出してくる根拠がワカラナイ・・・

其の五、全体的に「ベルばら」で拘る様式美について、そろそろ見直してみませんか?
しつこいまでに拘るこの作品ならではの様式美・・・でも時代も大きく変化してるワケですから、もう少し
ラフに演出しましょうよ(苦笑)もちろん全否定ではありません。宝塚でしか観れない幻想的なラブシーンは
貴重だし、観てて絵のように感じる演出も好きです。が、女々し過ぎるオスカルのような役作りや、
変な台詞回しはいただけません。それからあまりにも原作を無視したような脚本のアレンジも・・・初観劇の
時は時間の都合上仕方ないのだろうと思いましたが、何度か再演を観ていると時間の都合だけじゃなくて
単にアレンジが上手くできないだけなんだなぁと気付いた。なんか要らないような場面で本筋を繋いでいる
ように感じて、「ベルばら」っていう作品の流れを悪くしているなぁと。だからちゃんと纏めてって感じよね。

其の六、フィナーレはこれでもか!ってくらいカッコイイナンバーで綴ってちょーだいっ!
「ベルばら」のフィナーレっていつも似たり寄ったりだから、そろそろ新しいものが観たいって思う。
大体は劇中のナンバーをアレンジした曲が多く使われていますが、曲はそれでもイイから演出は新鮮にお願い。
1番希望するのは大階段での黒燕尾群舞。これは何が何でも絶対に入れて欲しいっっ!今までショーでも観れず、
今回は1本物作品なんだもん、これくらい良いものを観ないと満足できない。フェルゼンよりも、この群舞だけ
観たいくらいだよ。で、2番目の希望は「愛の棺」!これは観たいよー。雪版「アンドレ・オスカル編」で観て、
ものすごく印象的で素敵な場面だった。フェルゼンが歌いアントワネットが踊る演出なんだけど、セリを上手く
使ってて衣装も振りも良かったんだぁ〜(^^)でも雪版以来、この場面は封印されてしまった・・・
なんでこんな素敵な場面を使わないのか不思議。なので、今回の星版で復活希望ですっ!絶対にお願いっ。
3番目の希望として、「ボレロ」をやるならオスカル・アンドレにして下さい。常々フェルゼン・オスカルの
「ボレロ」は違和感があったので。オスカルはともかく、フェルゼンはオスカルに友情以上の感情はないんだし、
フィナーレでこの2人がデュエットをする必要が感じられない。かといって、フェルゼン・アントワネットの
「ボレロ」ってのもどうかと思うし・・・いっそのこと、この「ボレロ」は忘れてほしいかも(苦笑)


つらつらと、好き勝手な希望を書いてみましたが、これ、冗談でなくホンネです。
ホントになんとかして欲しいんですよねぇ。ホントに「ベルばら」だけは嬉しくないので、改善されないと
観てて苦痛(苦笑)観に行かないのが1番良いのは分っているけど、でもやっぱりわたるくんの舞台は何でも
観たいって思ってしまうのよ・・・悲しいかな、それがファンの性ってヤツなんでしょうねぇ(ーー;






年が明けて、いよいよ始まりましたベルばら・・・東京までお預けなu-tsuは落ちつかない日々です(苦笑)
そんな中、歌劇を読んで驚いたこと・・・それはフィナーレナンバーの内容。意外っつーか、変わり映えが
ないっていうか・・・座談会と配役見たら王妃処刑のあとはロケットで、それにフェルゼン&オスカルの
デュエット「小雨降る径」、続いて「薔薇のタンゴ」、「ボレロ」、「オマージュ」とありました。
なんでも喜多先生を意識してこのような流れになったとか話してありましたが、デュエットが2曲ってのは
ちょっとしつこいように思えるんだけど、どうなんだ?この内容はオスカル特出に配慮してなのか?
それとも東京でもこのまま行くんだろうか?あんな濃いデュエットを2曲も、しかも薔薇のタンゴと続けて
なんてのはカラーが濃すぎて観てる側が疲れちゃいそう(苦笑)1場面ごとでいえば名場面なんだけどなぁ。
それに、このフィナーレってほとんどの組子の出番がないよねぇ・・・オマージュくらい?しかも男役のみ。
ただでさえ配役少ない1本物なんだもん、フィナーレは大勢の人を出してほしいと思うんだよね。でもナンバー
見た限りではそんなこと考慮してるとも思えず・・・ま、毎回ベルばらはそんな感じではありますけどねぇ。

ナツメさん版ではフィナーレでシャンソンメドレーがあったり、キャルさんとのデュエットも丸1曲ではないけど
シンプルな中に華やかさがあって、爽やかなフィナーレだったなぁと記憶。ベルばらという衣装もセットも
豪華絢爛な作品のフィナーレなので、できればゴテゴテしていない内容が個人的には好ましいんだけどな・・・
わたるくんととなみちゃんのデュエットは、オマージュの前に爽やかでシンプルな演出で入れて欲しかった。
それも丸1曲のデュエットじゃなくて、娘役中心のダンスの1シーンとして加えるっていう程度で、そこから
オマージュに繋がっていく感じにしたらどうかと。いや、すでに公演中だからあくまでもu-tsuの願望だけどね。
でも東京はフィナーレの流れをできるだけ華やかで爽やかなものに変更して欲しい、無理だろうけど(ーー; 
「愛の棺」・・・久々に生で観てみたいよなぁ。あの曲も歌詞も大好きなんだけどなぁ・・・夢で終わるのかぁ。


さて、年末にBSで放送されたベルばら特番をようやく見ました。メインキャラ4役を分析していく中で、原作者の
池田先生がフェルゼンについて語っているんですけど、どうやらフェルゼンは演じるのが1番難しいキャラらしい。
確かに一国の王妃の恋人として心底全てをさらけ出すことができる唯一の人間ですからねぇ。そりゃぁ並大抵の
人間性じゃ務まらないでしょうし、そんな関係にもなれないでしょう。時代云々はさて置いても1人の男性として
ツッコミどころある部分は好みの問題ですからイイとして(苦笑)・・・原作読んでてフェルゼンは嫌いじゃない。
でも優柔不断さや身勝手さはどうも好きになれない。完璧な人間なんかいないってことは分るんだけど、どうしても
フェルゼンの行動には批判的になってしまうんですよねぇ(^^ゞ それは舞台版の演出のせいなんだろうけど・・・

歴代の各配役の映像も流れ、驚きと新たな発見とありましたねぇ。驚いたのはビジュアル(苦笑)こんなこと言っちゃ
失礼だが、綺麗には程遠い感じが・・・原作が少女漫画だけに、できるだけ近づけようとしたせいか、なんかゴテゴテ
しすぎちゃってコワイ(苦笑)客席の後方からならキレイで分りやすいのかもしれないけど・・・ま、初めて平成版を
観た時もベルばら特有のビジュアルに付いていけない部分は感じたから、個人的に受付けないのかも?
新たな発見は芝居の良さ。熱演というか、演じる側のエネルギーが劇場全体を包んでしまうような印象があったかな。
感動とは違うけど、役の表現の仕方が上手いなぁっていうのは感じた。特にアントワネット役の初風 諄さん。
歴代王妃の中で1番じゃないかと思ったくらい、貫禄も気品もあるなぁと。ま、短い映像の部分のみで感じたことなので
何ともいえませんが・・・でも1番印象に残ってるな。アントワネットといえば「フランスの女王なのですから〜」という
名台詞。過去のこの台詞を映像で6連発したのはすごかった。たった一言なのに、役者によって印象が違うのが面白い。
王妃らしさでいえば初風さんがダントツかな。一国の王妃然とした貫禄は他にはないものだったと思う。でもベルばらの
アントワネットとしてはちょっと違うような気もする・・・貫禄ありすぎて女帝みたい。いや、あの時は女帝として
しっかりしなければいけなかった設定なんだけど、それでもどこか気を張っているような空気に包まれていて、それを
跳ね返すような気持ちで自分がやらなければという意思表示が必要となって出た言葉だとu-tsuは思うので、もう少し
緊張感とか健気さみたいのが欲しかったかなぁと。アントワネットは何だかんだ言っても天性の女王気質ってのを持って
る人だからヘンな緊迫感や健気さなんて必要ないのかもしれないけど・・・でもいつまでも少女のような振舞いでいた
ような部分もある訳だから、その辺のギャップは上手く出してほしいなと。王妃らしさだけでもダメだし、子供っぽい
だけでもいけないアントワネット。フェルゼンも難しいかもしれないけど、このアントワネットも難しい役だと感じる。
余談だけど、今回は「フランスの女王なのですから〜」はあるのか?あれを上手く言える娘役さんはすごい貴重だぞ。


配役表見て、再び観たかったフェルゼンに会えないと知って落込み・・・軍服でスウェーデンを後にするあの場面です。
マリアテレジアと少女マリーを配役で見つけた時点で楽しみが一気に下降しちゃいました(苦笑)無いだろうとは薄々
分っちゃいましたが、確実に無いんだって知るとやっぱり残念ですねぇ。あの場面好きなんだけどなぁ・・・
ジェローデルにお願いされてパリに向かうっていう設定も変わらずあるそうで、なんかヤダなぁ。絶対ヘンだもんあれ。
誰に頼まれるでもなく、フェルゼン自らが救いに行くっていう過程を作ってくれるほうがイイなぁ。わたるくんが
演じるならなおさら、その方が説得力ありそうだし(^^)。その時々の主演に合わせて演出を変えていくならちゃんと
その人の魅力とかイメージをよ〜く理解してほしいよね。TCAピクチャーズでベルばらCDの視聴をしたんだけど、そこで
「ゆけフェルゼン」の場面があるのを知りましたよ。別にあの場面はあってもいいんです。寧ろフェルゼンの王妃へ
対する気持ちと緊迫感が出ていると思う。でも、またしても、あのヘンテコリンな映像がバックに流れるのなら怒るっ。
せっかくの頑張りがお笑いに変わっちゃうんだよねぇ(苦笑)初演と比べると、映像がかなりキレイになってはいるけど、
その演出自体が受入れ難いので、映像だけは勘弁してほしいんだ・・・でも今回も例外なく・・・なんでしょうか?

アントワネットの方は新曲が入ったり、子供と引き離される場面が入ったりと新鮮な印象がありそうですが、
それ以外は大きな変更もなく、全体的に「腐ってもベルばら」状態なんでしょうかねぇ?
ま、実際に観劇するまでは想像の域を出ないので、個人の好みと見解の相違としか言いようがないんですけど・・・
とはいえ、フィナーレでずっとずっと観たかったわたるくんの燕尾が観れるのはものすごく嬉しい事実です。
それだけでもこの公演を観る価値は大きいものです(^^)今の星組だからこその舞台が観れたらファンにとっては
嬉しいし、また次を楽しみにする糧になるだろうと思うので、作品への期待ではなく、出演者への期待を大きく
持って、東京公演を楽しみに待っていようかな。また時間を見つけて過去のベルばらを研究してみるか・・・














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