花舞う長安

−玄宗と楊貴妃−



次回は『玄宗と楊貴妃』ってことで、
久々に難しいお話なのかなぁとちょっと不安・・・
いや、難しいとか軽いとか以前の不安かも(ーーゞ
日本の歴史にさえ疎いのに、自国以外の歴史なんて
余計にさっぱり・・・ちんぷんかぷんでございます。
なので、今回もちょっとだけ背景を探してみましたので、
u-tsuのように歴史に弱いの・・・という方は一緒に
予習しましょう〜(^^;


玄宗、楊貴妃、安禄山・・・ときたら、次ぎは誰か?
やっぱり大乱の一因ともいえる楊国忠ようこくちゅうでしょうか。
生まれは不明、756年没。楊貴妃は従妹にあたるようですが、
楊一族と楊貴妃の親族関係はあやふやな部分があり、実際には
どこまで関係が正確なのか不明・・・
本名は楊 しょう。玉環が玄宗の寵を得て貴妃となると
楊一族の栄華が始まり、なかでも一番出世するのがこの男です。
国忠という名も玄宗が与えたんだそうで、この人もずいぶんと
寵を受けていたというのがうかがえますね。
で、財政手腕を買われ748年に給事中きゅうじちゅう御史中丞ぎょしちゅうじょうの官に就きます。
給事中とは上奏(意見や事情などを天皇に申し上げる)文書を
審査する重要な職です。因みに、秦・漢時代には下級の官でした。

御史中丞とは地方や中央で官吏を監察する官吏監察官庁の副長官。
ようするに、役人を管理・監督する部署の2番目にエライ人ってことよね。

楊貴妃の縁で立身した国忠は唐の宰相を務めていた李林甫と結んで
反対派を弾圧するなど頭角をあらわします。
加えて2つの官職に就いた国忠は、それ以後、天下の財政ついての
実権を掌握するようにもなり、次第に林甫の脅威を脅かす存在と
なっていきました。林甫と国忠は水面下では激しい対立があった
ようですが、共に皇帝の信任が厚く破局には至らず・・・
他を陥れるためには互いに策を練っていたとかで、
姑息っていうか陰険っていうか(苦笑)

林甫の死後、その後任となり権勢を振るいますが、安禄山という
天敵に悩まされます。安禄山は宮中に参上した頃は林甫と結びついて
いましたが、用心を怠らない林甫は安禄山という人物に危険性を
察知して常に警戒するようになりました。剛毅な安禄山も林甫の前では
緊張で話す声も震えるほどだったそうです。
対する国忠は才智はあれど人間としては大分劣るところがあったそうで、
安禄山はあまり重要と見ていなかったらしいです。

禄山が3節度使を兼ね力量が増すにつれて、国忠の禄山排撃も
いよいよ深刻なものとなってきました。
国忠はしばしば『安禄山に天下を望む野心あり』と玄宗に奏上し
宮中から排除しようと画策します。
しかし玄宗はこの意見を快く思っていませんでした。
范陽にいた禄山は国忠の意図を知り、都で自分の不利になる策謀が
行われていることを気にして、御史中丞の吉温きつおんをとりこみ、
自分の代理人として長安へ送り出しました。
吉温は禄山のために、朝廷での国忠の動向を逐一、范陽へ報告します。
が、国忠は自分の部下を使って禄山の不正を暴き、禄山と通じていた
御史を殺し、吉温を逮捕します。国忠の策動によって禄山の疑心暗鬼が
深まり、大乱の到来を迎えます・・・

間もなく禄山の軍が長安へ攻込んでくるという頃、国忠は玄宗と
計らって長安脱出を計画していました。
竜武大将軍の陳玄礼ちんげんれいに皇帝護衛を
命じ、軍隊を整備させました。「蜀に落延びること」・・・
蜀は楊氏の故地であり、人的つながりも多いことから国忠は
そのことを考えていたようです。
そしていよいよ脱出決行の日・・・
玄宗、楊貴妃、彼女の姉たちや近臣たち限られた者のみが蜀幸。
ところが食料など充分に準備せずに旅立ったため、兵士達の疲労は
頂点に達します。休息をとるため金城県に留まる皇帝ご一行・・・
兵士たちのイライラはこのような状態で都落ちを決行した
国忠に向けられるようになり、また、「楊国忠を討つ」という名目を
掲げた禄山の策動に同感を覚えはじめます。
『安禄山の挙兵名目は楊国忠を誅することにあり、国忠を忌み嫌う
人も多く、国家危急を救う為にも国忠一派を処断して頂きたい』
陳玄礼は部下たちの気持ちを代弁し玄宗へ奏上しました。

すぐには返答できず考え込んでいた玄宗ですが、そのころ金城の地へ
吐蕃(とばん:古代チベット人の王国名)から使者が来ていて、
国忠に食糧難を訴えていました。その様子を見た兵士たちは
『国忠が蕃人と謀反を相談している』と騒ぎ出し、なんとか逃げようと
する国忠を取り囲んで斬殺。これに続いて国忠の息子、
楊貴妃の姉達も殺されてしまいました・・・・

国忠は身に余る策謀で自らを滅ぼしてしまった、
というところでしょうか?
頭はいいのかもしれないけど、自分の策から相手の対抗心に火を
つけちゃったのはマズイよねぇと思いますよ(ーー;
もともと禄山は挙兵する計画があったのでしょうけれど、
もっと時期が遅かったかもしれないし、楊貴妃の最期も悲しい
ことにならずに済んだかもしれないのに・・・
ま、あまりにも楊一族が権勢を欲しいままにしている状態には
朝廷内外から非難があったはずだから、遅かれ早かれ・・・
ってことではあったのでしょうけれど。

さて、この楊国忠、舞台ではどのような男になっているのやら?
一応、悪役でもありますもんねぇ。
禄山もオイシイ役柄だと思うけど、国忠もかなり、かも(^^)。



初日から2週間・・・かなり舞台も役者も落着いて
余裕がでてきたころでしょうか(^^)?
観劇がまだまだずず〜・・・・・っと先のu-tsuは、
関連書物を読みながら、どこまで描かれているのやら?と
そわそわな日々・・・そんななか、公演パンフを拝む幸運に
恵まれて、毎日毎日わたる玄宗のお姿にうっとり〜
Y
な今日この頃でございまするよ。

パンフでの玄宗様のお衣装ですが、黒帯に金糸で文字が刺繍されて
おります。単に漢字が並んでいるように見えたu-tsuですが、
どうも文章になっているらしい・・・ようです。
こうして帯に刺繍されているってことは、絶対、玄宗に関わる
ものなんだろうと思い、探してみました。
まず、お衣装に刺繍されている文章ですが・・・

牀前看月光 疑是地上霜
舉頭望山月 低頭思故ク

これは唐の詩人、李白による『靜夜思せいやし』という作品のようです。
日本では主に上記の漢字で紹介されているそうですが、実際は

牀前看月光
←この部分が  床前明月光
舉頭望山月 ←この部分が  舉頭望明月
書かれています。意味に大きな違いはないと思われます。

牀前しょうぜん月光をる   疑うらくは これ 地上の霜かと
こうべを挙げて山月さんげつを望み   こうべれて故郷を思う


寝台に射しこんだ月光を見た  もしかしたら、地上に降りた霜かと思って
頭を挙げて山の上の月を眺める  いつしか俯いて故郷を思っていた

ニュアンス的には、ほぼ、このような内容かな?
ただ、「頭を挙げて」の部分は、「顔を挙げて」という表現でも
意味は同じだと思います・・・「舉頭」の意味の一つには
【仰向ける】という意味もあるそうで、そのことも考えると
どんどん訳が解からなくなりますが・・・(ーーゞ
「山月」は【山の上】と辞書にはありますが、訳には
【山の端】というのが多いです。意味が同じならどちらでも
イイと思いますが、イメージ的に音がキレイなほうがいいかも。

で、これは、玄宗とどう関係があるのでしょうか?
特に玄宗を描いたワケでもなさそうですが・・・
玄宗に関係あるだろうとの先入観から『長恨歌』の1部分かな?
とも思いましたが、調べたら全然違うし。
ただ、読んだかぎりでは、何となく雰囲気はあるかなぁと
思わないでもないのですが・・・
当時、「月」という言葉で連想するのは「離れている人を偲ぶ」と
いうことらしいので、死んでしまった楊貴妃を思う玄宗の悲哀
みたいなものは表現できそうかなと。
李白自身、月光によって故郷の親族を思い起こして書かれた詩が
玄宗の晩年と重なってみえる、というのは感じますよね。
劇中、この漢詩が出てきているのかは不明ですが、
詩が刺繍されたお衣装を見たら思い出してみて下さい(苦笑)。


さて、『隋唐演義』読書中のu-tsuですが、いや〜これ面白いです。
大好きな作家、田中芳樹さん編訳で全5巻なのですが、とりあえず
玄宗の時代の巻のみ読んでおります。
歴史上の出来事をより面白く想像力豊かに描かれていて、
難しいと尻ごみしていた中国史も楽しく知る事ができます(^^)。
で、読んでて思うのは、玄宗の楊貴妃狂い・・・
もう呆れてしまうほど、どーしようもない男だっ。
多少の脚色はある演義ですが、実際もこんな感じだったのだろうと
容易に想像できてしまうのは、やっぱり歴史に名高い出来事だった
からなのでしょうねぇ・・・何故、若き日はあんなにも聡明で
優れた皇帝であったのに、楊貴妃一人のために国を崩壊へ導いて
しまったのか?!玄宗の考えが全く理解できません。
皇帝という大国を導く立場には縁のない超・超・超凡人のu-tsu
ですから理解できなくて当然とえば当然ですが、
それにしたって責任ある人間が、ああも軽々しく事を運んでも
イイのかホントにっ?!と思うワケですよ。
しかも、どう見たって皇帝の寵を利用してやりたい放題っていう事に
気付かないってのも鈍感すぎだしねぇ・・・
妃や臣を信頼するのはイイけど、自分の父親やその前帝、歴史的に
みても偏った信頼や寵は身を滅ぼすってことを学習してないのか?と
学習能力を疑いたくなります(苦笑)。

王朝を繁栄させた皇帝が、一人の女性に翻弄される・・・
聞こえはドラマティックな印象ですが、舞台ではどのような
絵巻物が展開されているのでしょうか(^^)?



『ドジョウ・・・?いや、ナマズみたい・・・』
舞台の模様を観て、u-tsuが1番最初に思ったことです(苦笑)。
玄宗皇帝の長いヒゲから、どう見てもナマズだなと・・・
舞台では若い設定になってはいるけど、冒頭は年老いた玄宗って
ことでヒゲは付いているだろうと何となく想像していましたが、
あのようなヒゲとは考えていなかった・・・(ーーゞ
正直、言葉が出なくてナマズと思っただけでした。
よくよく思い出せば、中国映画やなんかでもこういうヒゲの人物は
出てくるよなぁと。でもまさか、わたるくんがこうなろうとは(苦笑)。
思わず可笑しくなってしまいました(^^;

お衣装も全体的に豪華でキレイなんですけど、
わたるくんにはあまり似合っていないような印象が・・・
u-tsuが持つわたるくんのイメージに皇帝は入ってないのか、
すごい素敵!カッコイイ!という印象はなかったです。
長身に映えてはいるけど、手放しでは喜べないというか。
想像よりも良くなかったという感じが強い・・・
パンフや扮装写真を見たときは『麗しい皇帝だわ〜♪』という
思いでしたが、公演映像ではどうも魅力を感じることができず・・・
ビデオでもすごい惚れさせてくれるわたるくんですから、
生とか映像とかっていうのはあまり関係がないように思うんです。
ってことは皇帝に扮したわたるくんが、わたるくんらしくないという
ことなのかも?・・・などと思ったりしましたが、真相は判らず(ーー;
自分の目でしっかりと確かめるまでは、ただの勘違いであってほしい
と思いますが、確かめるのもちょっとコワイような気がする・・・


さて、原作である「楊貴妃伝」を読むことができました。
感想としては、そうだなぁ・・・面白くなかった、と思う(苦笑)。
歴史小説っていうよりも、あくまでも楊貴妃の視点から書かれている
ので面白味に欠けるというか、偏り過ぎているというか。
一言で言うなら『解り難い』という感じでした。
楊貴妃っていう題材には興味持てるし、その辺りの歴史も
面白そうだと考えられますが、この「楊貴妃伝」を読んでこれを基に
舞台を・・・とはちょっと思えないu-tsuです。
楊貴妃の何が後世にまで語り継がれる理由なのか?
というのも解らず・・・玄宗が虜になった楊貴妃の魅力ってのも???
楊貴妃の視点ではなく、ナレーターがいて読者が傍観するっていう
ほうがまだ面白かったなぁと思うんだけど。
ま、これを基にしたってだけで舞台は違うものになっているのでしょうね。

楊貴妃に対する考えは特に今までありませんでしたが、
「楊貴妃伝」を読んで、イヤな女〜という感情がふつふつと(苦笑)。
自分勝手で我儘、打算的で陰湿・・・歴史上、男女関係なくこういう
人物は常にいたと思いますが、大抵は信念を持って何かを成そうと
するが為の結果。でも楊貴妃にはそういうのを感じられない・・・
あくまでも「楊貴妃伝」の楊貴妃には、ですが。
もちろん、望んで寿王に嫁いだワケでもなく、望んで玄宗のものに
なったワケでもない。自分の身を守る為に仕方なくというのが元々で。
それがいつしか権力欲に駆られ、玄宗の寵を独占しようと画策し・・・
梅妃にヒドイ仕打ちを〜っ。u-tsuはどっちかというと梅妃派(笑)。
豪華な楊貴妃よりも清楚可憐な印象の梅妃のほうが好みなんで。

でもね、「隋唐演義」を読んでる時は、楊貴妃に対してマイナスな
印象はあまりなかったんですよ。楊貴妃よりも玄宗に対して
頭にきちゃった、っていう感じだったんで。
でも「楊貴妃伝」は二人に対して印象が悪かった(苦笑)。
本によって表現の仕方が違うから受ける印象もやっぱり違って、
どれが1番史実に近いのかなぁと気になる部分もあり・・・
そういう風に感じるのは面白いけど複雑にも感じますねぇ。

個人的に読んでて面白いのは「隋唐演義」かな。
舞台化にして面白いだろうと感じるのも演義かも。
演義を舞台化してわたるくんに演じてもらうなら
皇帝ではなく案禄山や楊国忠がイイですねぇ。
玄宗でも若き日の青年皇帝ならいいけど、
楊貴妃が登場してからの玄宗では物足りない気がする・・・
なんか、わたるくん本来のパワーを持て余してしまいそうな
感じがしないでもないんですけどね(苦笑)。


博多座公演もあっという間に終わり、次ぎは本拠地での公演。
案禄山や他の役替わりもあって、また新しい玄宗と楊貴妃になりますね。
どのように印象が変わるのか楽しみでもあり不安でもあり・・・
自分の目で確かめるまでは不安の方が大きいままかも(ーーゞ



さて、いよいよ大劇公演が始まりました(^^)
色々と思うトコロはありますが、個人的には素敵なカッコイイわたるくんに
期待して、それが叶えばそれでいいかなって感じ。

文庫版『隋唐演義』5巻目をちょっとずつ読み返していますが、
原作にしてもこの本にしても、一番印象深いのは高力士かもなぁと、
ふと感じております。玄宗や楊貴妃は渦中の人なんで印象に残って
当然なんだけど、他を見渡した時に興味を持つのは高力士かなぁ。
安禄山や楊国忠ももちろん印象深いんだけど、
それ以上に引きつけられるというか。
なので、今回は宦官、高力士についてつぶやいてみましょう。

高力士(684〜762年)は唐の嶺南れいなん(現、広東あたり)出身で本姓はひょう
嶺南討撃使の李千里という人物によって、ある1人の少年と共に則天武后に
宦官として献上され寵愛されたそうです。後に同じく宦官の高延福こうえんふく
養子となり高の姓を名乗るようになりました。
高力士は頭脳が緻密で詔令しょうれいをよく伝達したので宮い局の丞(副官)に
任命されました。この局は宮門の取り締まりを任としていたそうです。
因みに、宮い(い⇒門構えに韋の字)というのは宮中の奥殿、
または后妃の宮殿という意味だそうです。

で、玄宗とはこの頃から親しい間柄だったといわれています。
皇太子になった玄宗に呼び寄せられた高力士は、側近として相談役として玄宗にとって
なくてはならない人物になります。高力士は期待に応えるように数々の功績があり、
玄宗が皇帝になると内待省の官を与えられたそうです。
内待省に関しては隋王朝建国あたりまで遡りますが、
流石にそんな前のことは関係ないので簡単に・・・
皇帝側と後宮(皇后)側で別になっていた事務を司る部署を一緒にしたのが内待省。
でこの内待省、実は何度も名前が変わったり仕事内容や携わる人数が変わったりしています。
なので高力士が任命されたときの内待省の内容ってのはちょっとハテナですが(苦笑)。
でも官位としては相当高い官職にいたはずです・・・

そんな高官位を与えられるほど高力士は玄宗の深い信頼を得ており、
玄宗への奏上なども誰よりも先に彼が目を通し、小さい問題などはその場で決断を
下していたそうです。こんなことは誰でもができることではなく、よほどの信頼が
なければムリなことと思います。いつでも玄宗の為に働いていたという事実が深い信頼へ
繋がったというところでしょうか。とにかくいつも身近にいて玄宗の手足になっていたようです。
そんな高力士に野心があったかどうか?これは不明だな・・・
宦官はもともと政治的関与を許されていなかったのに、玄宗が政治をおろそかにする頃に
なると高力士はかなりの権限を持っていました。奏上に1番先に目を通すとか、
勝手に問題解決しちゃうとか・・・もちろん、玄宗から任されていたといえばそれまでですが、
そんな権限を持っていて野心を抱かないっていうのは、この時代の官人としては
ちょっと不自然のような気がしないでもない(苦笑)。
すぐに寝返っちゃう官人が多い宮内で、ご主人様の為だけに生きるって人は
珍しいんじゃなかろうか?なんて思ってしまうんですよねぇ。
だから、いつも側にいて玄宗のことだけを考えて働いている高力士を見ると
ちょっと胡散臭く感じたりするというか・・・・
でも、【高力士が側近くで侍していない夜は安らかに眠れない】という玄宗の言葉から
察するにものすごい安定剤なのかなという気もするんですよねぇ。
そば身離さず置いていたとされていましたし。
また、玄宗に近い高官はすべて高力士が推挙した者ばかりですから、
それを例にしても高力士への信頼は厚いと分かりますよね。
推挙した一人に楊国忠もいて、その辺はちょっと間違ったかなとも思いますが・・・

玄宗はそれなりに人を見る目を持っていないと務まらない地位にあるから
高力士の忠実さっていうのは本物なのかもね。
u-tsuは高貴な主人とその腹心の絆っていう設定が好きなので、
高力士と玄宗にもそんな絆みたいなのがあったらいいなぁと。願望ね(^^;
でも宦官は性別がイマイチ?だから、男同士の友情って感じはしないかも・・・(笑)
それに、高力士って本を読んでると距離をしっかりと保ってるなぁと感じるので、
その辺からも忠臣だと感じるし私情を挟むこともほとんどない腹心だなぁと。
歳も玄宗と1歳しか離れていないのにものすごい落ち着きと貫禄を感じますよね。
思慮深く、決して出過ぎず引き際を知っているという印象もあるし。
逆に世渡りを心得すぎている感もあるにはありますが・・・
そんなのは全然マイナス面になっていないんですよね。
ホントは野心の一つや二つ抱いていても面白いなぁとか考えちゃいますが、
玄宗にとって高力士は半身のような存在ですし、裏切り者が多く存在した宮殿では
ホントに頼れる唯一無二の腹心だったのでしょうね。

本で印象的だったのは、玄宗が亡くなった事実を知った時の様子かな。
安史の乱後、李輔国によって高力士は拘束され流罪となり、上皇となった玄宗と
離れ離れになってしまいます。やっと赦されて都へ帰る途中、
玄宗が亡くなっている事実を聞かされました。
高力士は慟哭し、血を吐いて死んでしまった・・・と記されています。
最後の最後まで、玄宗を思っていた高力士の気持ちは何処へともやり場がないでしょうね。
血を吐いてしまうほどの悲しみっていうのは正直分からないんですけど、
そうなってしまうほど一心同体というか、それに近い関係であったのは改めて実感かな。
でも、もっと玄宗に厳しく言ったほうがいい事もたくさんあったはずで、
それを敢えて言わない高力士は腹心ともいえるし、そうでないともいえる・・・
玄宗の道を正すことは高力士にしかできないと思えるし、もし彼が心を鬼にして
接していたら少しは若い頃のように政治に力を注いだかもしれないし・・・
傾国の原因である楊貴妃を連れて来たのは高力士なんだけど(苦笑)。
なんで楊貴妃にガツンと言ってやらなかったんだ?!という疑問はあります。
野放しのおかげでエライことになったんだから。
ま、時代からしてそんなワケにもいかなかったのは分かりますけど・・・
玄宗にとっては良き腹心だけど、なんか甘いだけの腹心って気もしちゃうよね。
でも、そんな高力士、u-tsuは結構お気に入りだったりします(^^ゞ


なんか、あんまり高力士の参考にになってませんが、
舞台での高力士がどんな良き腹心になっているのか・・・
個人的にとっても楽しみです。






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