王家に捧ぐ歌
アイーダの素性〜新たな始まり−前編
エチオピア討伐から帰還したエジプト戦士たちは
同国の人々によって称えられ、勝利の宴で
ゆっくりと疲れを癒していた。
ケペルとメレルカが並んで座り、勝利の美酒を
楽しんでいる。
ケ: おい、ラダメスはどうした?
いつのまにか席を外した親友の所在を
大広間に溢れる人ごみの中に探すケペル。
気が付かなかったのかと云わんばかりに
メレルカは溜息をつく。
メ: 報告し忘れたことがあると云って、将軍を探しに
行っただろ。
お前ちゃんと返事してたぞ。
ケ: そうか?あんまり覚えていないが・・・
まぁいいか、と酒を飲み干す親友を横目に、
メレルカはやれやれというように苦笑いした。
その頃、ラダメスはアイーダの事をどう報告したら
いいものかと思案しながら将軍の元へ向かっていた。
ラ: まだ少女とはいえ、エチオピア王女であると
分かればどんな処遇が下されるか・・・
ファラオは偉大なお心を持っておられる。
いつも温かく民を見守って下さる・・・
話せばきっと聞き届けてくれるだろう。
将軍も情に厚い方だ、きっと助命してくれる。
問題は・・・神官たちだな・・・
放せーっ!
触るなーっ!!
大人しくしろ!
牢に続く石室の前まで来ると騒々しい声が聞こえ、
ラダメスは思案を中断させられた。
扉の前には兵士が数人かたまり、中の様子を
うかがっている。
ラ: 何事だ?
ラダメスに気付いた兵士たちは姿勢を正し
整列した。リーダーらしき兵士が答える。
兵: この討伐で捕えられた捕虜が暴れたようです。
すでに取押さえておりますが、なかなか
大人しくならないようでして・・・
ラ: そうか。ファラオは無事か?
兵: それはご安心下さい。
ラ: そうか。取込んでいるようなら出直す。
踵を返そうとしたラダメスに、尚も兵士が声をかける。
兵: お待ち下さい!ファラオと将軍からの命令で
あなた様を見掛けたら、ここへお連れするよう
云われております。
ラダメスは表情が一瞬硬くなった。
『エチオピア王女の素性を隠していたことが
知られてしまったか?助命を嘆願したいのに、
話しを聞いて下さらないかもしれないな・・・
だが何としても彼女を助けたい・・・でもどうすれば?!』
兵: あの・・・ラダメス様?
難しい表情のラダメスに、おずおずと声をかける兵士。
ラ: え?あ、済まない。何だ?
兵: 大丈夫ですか?顔色が良くないようですが・・・?
ラ: いや、大丈夫だ。
兵: では、どうぞ中へお入りください。
心配そうな表情のまま、兵士はラダメスを石室へ促す。
ラダメスは姿勢を正し中へと入っていった。
一歩踏み入ると薄暗い石室にも関わらず、
ラダメスは吸い込まれるように一点だけに釘付けになる。
そこにだけ光りが射しているような錯覚を覚えた
視線の先には、エチオピア王女アイーダがいた。
アイーダの前には、暴れたために思いきり戦士に殴られ
たのか腹部に手をあて唇から流れる血を拭っている
エチオピア人の青年がいた。
ア: 兄さん・・・
悲痛な表情で青年に声をかけるアイーダを見て、
その青年がエチオピア王子ウバルドであることに気付くラダメス。
牢の詰所には場違いなほど豪華な衣装に身を包んだファラオ、
神官長ネセル、先の戦いで指揮を努めたセファス将軍がおり、
エチオピアの侍女の発した言葉に少々驚いているようだった。
『やはり、アイーダの身元を気付かれたか・・・』
ラダメスが思案をめぐらしていると、ふいに声がかかる。
ファ: 待っていたぞ、ラダメス。
威厳に満ちた、だが優しい声音が石室に響く。
ラダメスは我に返り素早くファラオの側へ控え頭を垂れる。
ファラオの言葉に神官と将軍がラダメスへ振り向く。
アイーダとその侍女たちも一斉にラダメスを見つめた。
ウバルドたちは戦士たちに押さえ付けられ
身動きできずに荒く息をついていた。
ファ: 顔を上げよ。ラダメス。
先の戦いでは頼もしい活躍をしたそうだな。
ラ: いえ。将軍の指揮に従ったまでです。
将軍がいたからこそ、得られた勝利・・・
そして、神々の導きが我々戦士に力を与えて
下さったおかげです。
アイーダの身分を隠していたという後ろめたさがあり、
ラダメスはファラオを真っ直ぐに見上げることができなかった。
将: ラダメス。お前に聞きたいことがある。
兵士の一人がエチオピア王女は捕虜の中にいると
申しておってな。
お前からの報告と全く違うので私は少々混乱しておる。
ファラオも神官長も私も、真実を知らねばならぬのだ。
いつのまにか自分の横へ立っていた将軍の言葉に、
身体が強張るラダメス。
ファラオは、そんなラダメスの心境を気にせず本題に入る。
ファ: ラダメス。エチオピア王族の行方について聞きたい。
今、戦士たちが取押さえているのはエチオピア王子
ウバルドとその家臣だが、もちろんお前も知っているな。
ラ: ・・・はい。
ファ: ではエチオピアには王女がいることも知っているか。
ラ: はい。
ファ: ラダメス。お前は将軍から受けた任務で、王族を
捕えエジプトまで届けるという役目を与えられたな。
だが王女の居室に主の姿はなく、居残った侍女
たちの話しではすでに逃げた後だった、との報告を
したそうだが・・・間違いはないか。
ラダメスは返答に迷い、控えたまま無言で地を見つめていた。
ネ: ラダメス。先ほどエチオピア王子を、この侍女が
兄と呼んでいた。
これは一体どういうことか?
ウバルドから引き離され、他の侍女たちと一緒に壁際に
追いやられていたアイーダを示し神官長ネセルが問う。
ネ: よもや王女を逃がす為の嘘だったのではないか?
無言のままのラダメスへ厳しい口調で言う。
侍女たちは緊張の面持ちでラダメスを見つめているが、
アイーダは至って冷静に成行きを見守っている。
ファラオは穏やかなまま、ラダメスの言葉を待つ。
悪意をもって裏切ったわけではないが、真実を隠し、
帰還してもすぐに報告をしなかったという後ろめたさで、
ラダメスは自分の行動の軽率さを悔やんでいた。
だが悔やんでも遅い。
ラダメスは覚悟を決めて真実を話し始めた。
ラ: この地上を照らし、我らを導く太陽神の息子で
あらせられるファラオ。
どんなお叱りも覚悟の上で申し上げます。
私は将軍に虚偽の報告をいたしました。
将: なんと?!
ネ: お前はファラオを、エジプトを裏切ったのか?!
驚く将軍、怒りに襲われる神官長。
裏切という言葉に素早く反応した戦士の数名が
ラダメスへ向けて剣を抜こうとした。
ファ: 待て!話しはまだ終っておらぬ。
ラダメス、続けよ。
ファラオはじっとラダメスを見つめたまま言葉を促す。
一同は冷静さを取り戻しラダメスの話しに耳を傾ける。
ラダメスは大きく息をつく。
ラ: 私はファラオを、国を裏切るつもりはありません。
誓って、そんなことはあり得ません。
私はただ、彼女の命を助けたかったのです。
まだほんの子供である彼女が、王女という身分の
為に命を奪われるような処遇が下されては気の毒と
思い・・・ただ彼女に生きてほしいという気持ち
からの行動でした。
どんなに言葉を並べてもただの言い訳、裏切と
言われても仕方ありません。どんな処罰も覚悟の上です。
ただ、彼女の命は助けていただきたいのです。
ファ: では、この侍女がエチオピア王女に間違いないのだな。
ラ: ・・・はい。
深く頭を垂れるラダメスは強張ったまま裁きを待つ。
そんなラダメスをじっと見下ろし、しばらく無言で考えた後
ファラオは微笑んで口を開く。
ファ: よく分かった。ラダメス。
お前の優しさで命を救われたエチオピア王女は
運が良い。命は助けよう。
ネ: ファラオ?!王族の血を絶やさなければ
いずれ大きな災いとなって報いが返ってきますぞ。
ファ: ネセル。もう決めたのだ。
先の戦いでの褒美をまだ与えておらぬ。
これが、その褒美となるであろう。
そうだな、ラダメス。
ラ: ファラオ・・・
緊張と安堵で言葉が出てこないラダメスは、
ただ深くファラオへ感謝するだけだった。
ファ: だが、自由を与えることは出来ぬ。
命を助ける代りに、この者たちは他の捕虜と同様、
囚人としてエジプト人に仕えることとなる。
分かるな、ラダメス。
嘘の報告をしたにも関わらず、詰問するどころか
褒美として願いを聞き届けたファラオの言葉を
ラダメスは重く受止めた。
『一国の王女が囚人として敵国に仕える・・・
果たしてこれがあの人にとって良い選択なのだろうか?
いや、例え間違った選択だとしても、ただ見殺しになど
できるはずかがない!』
ファ: ラダメス。どうした?
ラ: いえ・・・聞き届けていただき、嬉しく思います。
何が正しいのか分からないままではあるが、
生きていれば道は開けると考えたラダメスは
ファラオの言葉を受け入れた。
兵士たちに囲まれたままで、このやりとりを聞いていた
アイーダとその侍女たちは意外な展開に少々戸惑っていた。
口に出して疑問を唱えたりはしないが、心の中では
それぞれが色んな考えを巡らしている。
だが答えを導きだせる者はいない・・・
アイーダもラダメスの心が理解できずにいた。
将: ファラオ。この不始末の責任は私にあります。
将軍職をお返し申します。
それまで驚きで言葉なく沈黙していた将軍が跪く。
ラダメスは自分の行動が将軍の立場を危うくしてしまう
等と考えていなかったため大きく動揺し、
再びファラオへ嘆願する。
ラ: ファラオ!責任はこの私にあります。
将軍がいなければこの勝利はあり得ませんでした。
何卒、将軍へはお咎めなく・・・!
ファ: ラダメス。私はセファスを咎めたりはせぬ。
そしてお前を咎めたりもな。
将: ファラオ・・・それでは示しがつきませぬ。
ファ: セファス。お前の気質はよく知っている。
ラダメスがあのような報告をしなくても、お前は
助命を願い出たであろう。
特に力のない女子供には情け深いお前だからな。
穏やかな表情でそう告げるファラオを、
セファスとラダメスは緊張の面持ちで受止めた。
一方、神官長ネセルは、おなじく情に厚いファラオを見て
小さく溜息をついていた・・・
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