すれ違う、思い−アムネリスの望むもの〜前編
勝利の凱旋を終え、ラダメスの思いがけない発言から数時間・・・
新たに捕えたエチオピア人の多さに中庭の一つが占領され、
その見張りや軍の事後処理のため予定されていた勝利の宴はまだ催されていない。
ファラオがラダメスの願いを聞き入れた為、神官たちも宴どころではなく、
緊急の話し合いがなされている。
国の一大事ということで、ファラオももちろん臨席している。
そんななか、羽扇を何となく揺らしながら、豪奢なベッドに横たわっている
王女アムネリス・・・だが表情は厳しく苦悩に満ちたものだった。
゛勝利をおさめた結果の望みが敵国の解放?
ラダメス、あなたは一体何を考えているの・・・いえ、あなたの考えは分かっているわ。
あの女の為にしたことね・・・あなたはアイーダに同情以上の思いを寄せている。
エジプトと戦うエチオピアの、あの女を・・・"
アムネリスの居室から続く寝殿の扉付近では、アウウィルとターニが
王女の様子を心配げに見守りながら侍している。
「ねぇ、アムネリス様は何を悩んでおいでなのかしら?」
「決まってるじゃない、ラダメス様がエチオピア解放を願い出たことよ」
ターニの言葉に、さっき大騒ぎになっていたじゃないのと言わんばかりにアウウィルが答える。
「そうよねぇ、私も疑問よ。どうしてラダメス様はあんなことを仰ったのか」
「平和な世を築きたいって、ことなのよね、きっと」
「でもエジプトは今でも平和じゃない?エジプトの戦士は強いし、国は豊かだし。
それにファラオは御心がとても広くていらっしゃるし、これって平和じゃないの?」
ターニは現状に満足している様子に見える。
「確かにねぇ。だけど、常にエチオピアや近隣の国の存在を気にかけているじゃない?
果たしてそれが平和なのかしら?エジプトを侵略しようという敵がいるうちは、
平和ではないような気がするけど・・・」
ターニの素朴な疑問に対し、アウウィルはらしくなく考え込む。
だがそのうち、自分もラダメスの言葉の意味を理解できず面倒になり考えるのを止めた。
アウウィルたちの背後では、居室で女官たちがラダメスの発言についてあれこれと議論している。
いつもの噂話のような盛り上がりではないようだ。
再びアムネリスの様子を見ると、やはりまだ悩んでいるようで表情は浮かない。
前例のない発言に、誰もが戸惑っているのがよく分かる光景だった。
「誰かいますか」
突然の声に、慌てて控えるアウウィルとターニ。
「セクメト神に勝利の報告へ参ります。捧げ物を手配しなさい」
アムネリスの声は普段と変わらず、表情も一転していた。
アウウィルとターニを含めた王女付きの女官たちはすぐに取りかかった。
ベッドから降りたアムネリスの着替えを女官たちが手伝う。
衣服を準備する者、宝飾品を選ぶ者、髪を整える者・・・
それぞれ自分の仕事をこなしてゆく。
ちょうどケープを羽織り支度が整った頃、供物を用意した女官たちが戻ってきた。
数人の女官を残し、王女一行は居室を後にする・・・
アムネリスを先頭にアウウィル、ターニら数人ほどの女官が従い、神殿へ続く回廊へ向かう。
部屋を出て間もなく、数人の戦士が前方から駆けつけ、王女の前で止まった。
「何事ですか」
凛とした口調で王女は問う。
一人の若い戦士が王女の前に進み出る。
「神官長ネセル様の命により、戦士メレルカ、護衛に参じました」
メレルカの後ろには剣を携えた戦士2人と、長槍を携えた兵士3人が控えている。
「護衛?この王宮の中で?何かあったのですか」
「いえ、急を要する問題はありません。ですが現在、エチオピア王族はじめ、
多くのエチオピア人がこのエジプトに捕われております。万が一にも暴動が
起こらないとも限りません。神官長はファラオとアムネリス様の御身を案じ、
エチオピアの処断が下るまでは護衛を怠るなとのお達しでございます」
あまり過度な護衛で行動の幅が制限されるのは望まないが、アムネリスは自分の身が
どんなに重要かはもちろん承知している。
「分かりました。これからセクメトの神殿へ参ります」
はっ、と一礼したメレルカは手際よく指示し、王女一行を囲むように護衛を配置。
自身は王女の少し前方を歩き出した。
神殿の回廊にさしかかると、沈み込む太陽が最後の輝きを放っているのが見える。
正視することは困難だが、アムネリスはその輝きを心地良く受けとめる。
神殿の大きな扉の前に着くと、メレルカの合図で兵士が扉を開ける。
メレルカは先に神殿の大広間へ足を踏み入れ、危険がないかを確認した。
「広間に異常はありません。どうぞお入り下さい」
メレルカはアムネリスに伝えると先ほどと同じように先頭に立ち、大広間を抜け奥に繋がる
第2の広間へ歩を進める。メレルカが中を確認しようと扉を開けると、祭壇に置かれた灯りに
人影が浮かび上がった。
メレルカが声を掛けるより早く、祭壇の前の人物が振り返る。
灯りがあたる横顔は、メレルカがよく知る人物のもの・・・
兄のように慕い、戦友であり親友である男・・・
「ラダメス、ここにいたのか」
「メレルカ」
「凱旋後から姿が見えなくて探したぞ。事後処理の手配は指示してあったが、
問題ってのは後から多く出るだろ。将軍がいて指揮を取らなくては誰が問題の
責任を取ればいいんだ?今ごろケペルは大変なことになってるぞ」
ラダメスの発言で心中複雑なメレルカだが、敢えてそれには触れず軽口を叩く。
「済まない。すぐに戻るつもりだったんだが・・・」
申し訳なさそうに告げるラダメスは、メレルカの背後に王女の姿を見つけ口を閉ざす。
メレルカは思い出したように王女を振向いた。
「失礼致しました。異常はありません」
アムネリスは足を踏み入れるとラダメスを見ることもせずに祭壇の前へ進む。
供物を捧げた女官たちは王女の合図で広間を後にする。
「我々は外で待機致します」
アムネリスが背を向けたまま頷くのを見るとメレルカは親友を振り返り、後でな、
という表情で去って行った。
ラダメスはアムネリスの背に視線を向け、軽く頭を下げると踵を返して去ろうとした。
「ラダメス。話しがあります」
静かな、無感情にも似た声がラダメスの足を止める。
「申し訳ありませんが、私には・・・」
「将軍としての仕事が残っている事は承知しています。長くはかかりません。
あなたに聞きたいことがあるのです」
そう言われて、ラダメスは仕方なくその場に留まることにした。